http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02491289&aid=ex
親鸞というのは、どういうことでしょうか、実にもって知識人――とりわけ仏者以外のそれ――の魅力を引きつけるものであると申せます。やはり、泰西の宗教改革を想起させるところが、プロテスタントの倫理と資本主義の精神を感じさせるのでしょうか、<大塚久雄先生。
こういう親鸞理解というものは、以前もどこかで申し上げたことがあろうかと思いますが、福沢諭吉あたりが最初期に当るのではないかなぁと思うわけです。『学問のすゝめ』では「親鸞」の「宗教改革」は、「マルチン・ルーザ」(ルター)の「新教」に比べて、宗教戦争も起こさず、平和のうちに達成されたという形で比較されています。これは、比較思想史の点からみても興味深い叙述であります。
親鸞が知識人ウケであるといたしますと、それに対置されるべき仏教者と致しましては、どうしても日蓮を取り上げなければなりますまい。で、この日蓮というのは、どちらかというと大衆運動家というか、体制・反体制を問わず、実にアクチヴな方に好まれるわけです。
参考:『日蓮と親鸞』
中本 征利著 人文書院刊 ¥2,800(税込:¥2,940)
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02483980&aid=ex
そもそも日蓮自身がアクチヴなわけですから、そうなるのも宜なるかなと思うわけです。それにしても、国柱会と新興仏教青年同盟って方向性が似ているんだか違うんだか。
おまけ:『入門よくわかる親鸞』
武田 鏡村著 日本実業出版社刊 ¥1,400(税込:¥1,470)
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02484205&aid=ex