皆既日食が迫っているということでして、世間一般大にぎわいのご様子で、一部の南の島の方では入島制限を実施したりしなかったりとか。
まぁ、今回の地域が少々北寄りでしたのでよかったのですが、もう少し南の方に偏って、国境的にいろいろ面倒な地域であったらこれまた大変だったのではないかと、天が落ちる訳でもないのに杞憂をいたして日を過ごしております。
さて、猫も杓子も「皆既日食」でございますが、これほど人口に膾炙されながらも、いまだにその「皆既」の意味を正確に説明してくれたメディアにお目にかかったことがございません。いや、皆既日食の構造と申しますか、月と太陽と地球の位置関係がどうだこうだというのは教えてくださるのですが、なぜこれが「皆既」日食というのかということについては、さっぱりでございます。
皆既と申しますのは、「みんなすでに」という意味では当然ございませんで、「既」は「つきる」と読みます。はるかさかのぼること2700年前の桓公三年(BC709)に以下のように載っております。
○秋七月壬辰朔日有食之既〈既尽也……皆既者正相当而相奄間疏也〉(『春秋左伝』)
(秋七月壬辰朔、日の之れを食する有り。既なり。〈既は尽くるなり。……皆な既くるとは、正さに〔日月が〕相ひ当りて、〔太陽と地球の〕間疏を相ひ奄ふなり。〉)
このように、「皆既」と使われており、このコトバが、西洋科学の伝来とともにtotal eclipseの訳語として用いられるようになったわけでございます。
それにつけても想われるのが、「皆既」などということばを、よくもよくも当時の学者が知っていたものだなぁということでございます。もちろん東アジアにおいて展開した経験科学の上に、西洋科学の受容があるわけであって、近代初頭の自然科学者が、和語・漢語に対する深い学識を有していたことは疑いもない事実であります。
思い起こせば、蘭学受容の過程で、これら先人は、それまでの学問には存在しなかった器官(=「腺」)に対して、新たなことばのみならず漢字までも作り出してしまった訳でございます。日食を前にして、その日本語に対する執着に畏敬の念を新たにするとともに、我々の日本語能力の低さをなんとも哀しく思ったりする次第でございます。