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国民文化研究所



長い

20年前の文章を貼り付けてみた訳ですが、長いな。

いまどきのweb文章的にはかなり読みにくい。

というか、自分もそうしたweb表現に慣れてしまっている事実にびっくりです。

8回スクロールしないと全部終わらなかった時点で、誰が読むんだろう的な気がしてきましたが、まぁ、20年前のブツをもってきて許されるのは『水曜どうでしょう』くらいなものですわね。>違う

# by kokuminbunka | 2019-04-05 14:13 | Fragments

武士道の歴史(上):武士の成り立ち

このページは、1999年06月25日にupした「武士道の歴史(上):武士の成り立ち」を誤字や中二っぽい表現等を直したうえで再掲したものです。〔 〕は2019年04月05日付の追記です。しかし20年前のものを読まされるのも辛いなぁと思いながら、そんなに自分の中で勉強が進んでいないことにびっくりでもあります。

武士道の歴史(上):武士の成り立ち

ええっと、そろそろなにか書かないと週刊にならないので、最近とっても熱い武士道の歴史についてお話ししようかなぁと思います。でもすでに他の所で書いたものをまとめたようなものになるので、多分、新しいことは何もないかと思いますが…。

武士成立前史

「武士道」と申しますのは、武士の道です。

「なんだそんなことわかっているわ」とおっしゃられるかもしれませんが、「武士とはなにか」、「道とはなにか」というとこれまた厄介な問題であります。

で、日本における「武士」ということばの初出は、『続日本紀』の巻八に

「文人武士は国家の重んずる所」

というのがあるのがそれであると言われております。

『続日本紀』は「しょくにほんぎ」と読みますが、まぁ大体奈良朝を中心にした歴史書だと考えていただくとわかりやすいですね。つまり、律令時代です。

ここでの用法は、いうまでもなく「文人」に対句的に用いられていますから、中世の武士というよりは、「武官」の意味が強かったと言えます。東北地方や北海道〔粛慎(みしはせ)のことを言っているのかもしれませんが「北海道」というのは言い過ぎではないかと思います〕を侵略し続けていた古代日本国家にふさわしいことばですね。

「武士」と書いて「もののふ」と読む場合、これは由来が更に古くなります。

「もののふ」というのは「物部」と書きまして、「もののべ」とも読みました。これは、大和朝廷の職掌でありながら、部族の名前でもありました。名前というのは正しくないですね、氏(うじ)というべきでしょう。

「もの」というのは、現代でも「えもの」とかいうように「武器」のことです。したがって「もののふ」も、武官であったと言えます。

武官であるということは、官僚制の内部に定位されていたということを意味します。つまり、その暴力(軍事力)が、恣意的に用いられるのではなく、ある権力意志によって計画的に用いられることになります。まぁだからといって、暴力が宜しいという訳ではないのですが。

そうそう、「さむらい」ということばもあります。「侍」ですね。

本来これは「さぶらふ」の連用形が名詞化してできた「さぶらひ」が更に転訛して「さむらい」になったものです。出現は、平安期だと考えられます。つまり、令外官として検非違使などの形で、外部から導入された新しい軍事力です。

検非違使とか言っている限りではまだ律令の埒内(らちない)なのですが、平安中期以降、貴族のみならず天皇までも武官以外に独自の軍事力を持つようになります。これが、「禁中滝口」「院の北面」や「東宮帯刀(たちはき)」といった武士集団になりました。

しかし、これが貴族によって雇われている限りにおいてはまだ中央(朝廷)の管理内にあったといえます。これが、中央の羈縛を受けなくなると、ここに初めて、現代でいわれているような武士が登場します。

いわゆる武士の誕生

現代の我々が、「武士」という場合、それは封建的諸関係(土地の給与)によって活動していた戦闘者、ないしはその集団全体を指すと思います。

ただし、この「封建的」ということばは、割とくせ者でして、近代史学の洗礼を受けた我々は、「封建制=feudalism」だと考えて、ヨーロッパ中世のそれに同定させてしまうのですが、しかし当の武士たちは、そんなもの知りゃしません。

当たり前です。

大体にして、feudalismなんて英語自体なかったはずですから。

しかし、武士は自らの体制を「封建制」ないしは「封建の制度」と呼びました〔こんな言い方が一般化するのは近世になってからなんですけどね〕。これは、ヨーロッパ中世に溯ること1500年ほど前の中国〔古代の〕殷・周代の国家体制が土地を媒介にした君臣関係を形成しており、これを封建制と呼んでいたところから来るものです。

ちなみに、このことは近世の儒学者にとってうれしい話でした。儒学者にとって周代の治世(封建制)は、儒学の祖である孔子によって模範的な治世と考えられていましたから、同じく封建制である日本は、大陸の中央集権的な国家体制(郡県制)とは違って、ヨリ神聖な統治形態であるということになるからです。

まぁ、ヨーロッパの封建制度と中国の封建制度、さらには日本の封建制度とでは各々内容が違うのですが…。

こういったことを考慮に入れた上で、今日の意味での武士はいつ頃に始まるのかということを考えると、大体平安時代末だと言えると思います。律令制という全国家的支配秩序が崩れ、それに代わる私的な権力(暴力)が必要になってきた時代の産物です。具体的にいうと、荘園を守るための軍事力でした。

本来は耕作地には租税やその他の税がかけられている訳ですが、荘園は貴族や大寺院が持っているので、税は納めないわ(不輸)、国司の監査は入れないわ(不入)と、いわば権力の真空地帯が出来上がっていました。

で、ここが問題なのですが、この荘園というのは、貴族や大寺院が自分で開いたもの〔初期荘園のはなしは置いておいてください〕ではなく、地方の有力農民などが開墾した耕作地を寄進されてできたものですから、名目上所有者は貴族ですが、実際はこの有力農民が管理運営していたものでした。

こういった中で、土地の境界線や利水権などでもめごとが起こると、この有力農民自体が自力で何とかしなくてはならない。なにしろ、国家権力の介入を排除してしまったんですから、警察・裁判権は自分で行使しなければならないわけです。かくしてここに、律令外存在としての武装集団というものが成立します。これが武士の誕生です。

中世の武士とその倫理

「武士道」と言ったときに考えられる特徴としては、「忠君」「勇猛」の二つがあるのではないかと思います〔なんて唐突な〕。これは、間違いないのですが、それが何のための「忠君」であり「勇猛」であったのかということを少し考えて見たいと思います。

中世武士――ここでは鎌倉幕府に所属している武士(御家人)ですが――は、将軍と御恩・奉公関係にあった、と言われます。将軍によって自分の持っている土地の領有権を認証してもらう(御恩)代わりに、「すわ鎌倉」の時は、一命をなげうって働きます(奉公)というものです。

ですから、非常にビジネスライクであったともいえますが、その一方で実際に戦場を共にした主君とは、合理性を越えた感情的なものとして、運命共同体のような感覚が生まれてきます。「将軍の死は我々の死だ」みたいな感じですね。

丸山真男なんかが「情誼的一体感」と呼ぶああいった感覚です。こういうのは感覚なので、論理的には把握できませんが、そういうものがあったんだなぁということだけ理解していただければ結構です。

鎌倉時代というのも、結構争いごとが多く、大きいところでは天皇が捲土重来(けんどちょうらい)を期した承久の乱〔1221〕や二度にわたる元寇〔1274/1281〕があります。いずれの戦争にも、武士は勇ましく戦ったと伝えられています。それは、鎌倉のためとか神国日本を守るためとかいう以上に、「ここでがんばれば恩賞がもらえる」という打算がかなり強くありました。

例えば、『蒙古襲来絵詞』というものがあります。
これは肥後の豪族で竹崎季長〔たけざきすえなが:1246~?〕というおじさんが、「オレが今回の元との戦いで如何にスバラシイ功績を挙げたかを見てくれ」ってんで作らせたものです。で、実際この人は戦場一番乗りを果たした功績で肥後の東三郡というところに恩賞の地を得ています。

ただし、この人は極めてめざましい功績があったので恩賞をもらえたのですが、その外の普通に動員されて、そんなに大して手柄もなかった人たちには、恩賞がほとんど与えられませんでした。というか、与えるべき恩賞地がなかったんですね。

基本的に恩賞地は、戦争をやって滅ぼした相手の領地を分け与えるものな訳ですから、元寇のような防衛戦では勝っても領地は増えないことになります。それどころか、フビライ自体3度目の日本征服計画を企てていたというのですから、勝ったというよりは、休戦状態といった方がよく、鎌倉幕府は九州警衛の軍備を解くことが出来なかったので、これもまた大きな負担となりました。

封建制下の軍事力というのは、基本的に領主個人の持ち物ですから、軍事費は自弁であって、支給されません。したがって、戦争後の恩賞を目当てに軍事費をやりくりしている、そういった自転車操業的なものであったので、一度恩賞がもらえなくなるとたちまち破綻し始め、ついには没落したり、有力な他の御家人の勢力下に入ったりとさんざんな目にあってしまいます。

こういう不満がどんどん募っていったところで、鎌倉幕府が倒され、建武政府を経て、室町幕府が成立いたしますが、この間、基本的に武士の行動規範というものは「御恩があるか」というところに機軸があり、御恩がある限りあなたについて行くし(忠君)、勇敢に戦争しますよ(勇猛)という倫理観を持っていました。むろん、これだけで済む問題ではなく、先ほど申しました「情誼的一体感」というヤツも大きな位置を占めていたので、一概にどちらか一方ということは出来ません。

ところで、しばしば「武士として恥ずかしくない行為」とかいわれますが、高い倫理があったから恥ずかしくない行為をしなかったとはいいにくい〔ところ〕です。と言うのは、基本的に法律(律令)外の存在である武士にとっての法は、習慣です。で、その習慣からはずれるような行為をすることは、必然的に犯罪者になるわけで、結局は「犯罪者になるな」といっているのと同じことですね。

よく、高倉健とかが、「仁義を通さなければなりません」〔!正しい引用ではありません〕などと映画の中で言っていますが、結局あれもアウト・ローである彼れらを規範づけているのは、実定法ではなく、彼れらだけにしか分らない法なわけですね。したがって、近代的な法治国家の観念(rule of low;法の支配)というものとは、まるで無縁です。まぁ、武士は近代にはいないので、それはそれでよしとしましょう。

戦国期の武士道

封建的な武士の在り方を変えたのが、応仁の乱以後の戦国時代です。

封建制は土地を媒介にした支配秩序ですから、経済が土地・農本制から離れて貨幣経済が行くにつれて必然的に零細領主は没落していきます。没落した武士は前節で申し上げましたように、より大きな領主の支配下に入ったりして何とか生きていくことになります。

こういった武士内における淘汰の一方で、新しい武士の形態が登場します。自分の実力だけで戦場を渡り歩く土地を持たない武士です。

一種の傭兵といってもよいのですが、これも支配秩序の混乱と貨幣経済の浸透とが生み出した新しい戦闘者の在り方だといえます。つまり、相継ぐ戦闘の中で兵器が大衆化され、誰れでもこれを保有することが出来るようになる、あるいは保有していないとこの身が危ないかも知れない。「野武士を雇うだ」〔cf.『七人の侍』1954〕という事態になるかも知れない。そういう時代状況にあって、元は農民であったり、商人であったりする人間が、刀や槍を以て戦場に出て、手柄を立てて立身出世するなんてこともありました。

ところで、古来日本には槍というものが存在しませんでした。

古墳から発掘される武器も基本的に矛が多く、槍は見られません。槍と矛とでは、使い方に決定的な差がありまして、端的に言えば、槍は突くもの、矛は斬るものです。

矛や長刀というのは、結構技術がいるのですが、単に突くだけの槍というのは、大して技術もいらないので、いわゆる臨時雇いの兵隊に持たせるのにうってつけでした。ここに、一騎打ちによる戦法から、兵力の大量投入による戦法へと戦術形態が変化するようになりました。このことは、軍事に関る人口を激増させる結果となり、支配階級ではない戦闘者を増やすことになりました。

こういった中で、武士の倫理(武士道)には、実力主義というものが付与されるようになり、家柄や、出身といったもの以上に武勇〔と武功〕がその大きな判断基準となるようになっていきました。つまり、鎌倉時代の御恩・奉公に基づいた家中心の武士道から、個人中心へと重心が移動した、そこまでいうのは言いすぎだとしても、そういうファクターも出てきたということは言えるでしょう。

いわゆる、「ぶへんもの」(武辺者)は戦闘の技術に特化した武士であり、主君に使えるその忠義の度合いによって称賛されるよりも、むしろその勇敢さを称えられたものであったわけです。

無論一方で主君がこういった新しい武士をとりまとめ、そしてともに戦場で闘っていく過程で、情誼的一体感による君臣関係が成立してきます。特にこの場合、家臣としての武士は鎌倉時代のような独立封建領主ではなく、主君から俸禄や領地を直接にもらっているので、主君の没落は即自らの没落に繋がるという実にシビアな環境にありましたから、いやが上にも運命共同体的な観念を抱くようになります。主君の方でも、同盟関係から支配関係に移ったような親族や旧領主よりも、こういった直属の常備軍の方が、いざというとき裏切る可能性が低い分、なんぼか頼りになるというので、大変厚遇しました。こうして、君臣は名実ともに一体化いたします。

ただし、こういった武士およびその倫理は、太閤政権や江戸幕府の成立にともない、徐々にその位置を失っていき、変質を迫られます。それでは、次回は近世の武士道から始めたいと思います。

# by kokuminbunka | 2019-04-05 10:54 | 『思想と国民文化』

愕然として初めて悟る

令和の意味を、「素晴らしい大和国」という意味だと知って、初めて「美しい国」だったかのだと気付きました。

不明を恥じます。

# by kokuminbunka | 2019-04-04 23:11 | Fragments

マンボウ

落選した「万保」を「マンボウ」と読んでいる人がいて、それはそれで面白そうだと言うことで一応出典を探してみました。

『詩経』「小雅」の「瞻彼洛矣」より「君子万年、保其家室」「君子万年、保其家邦」でございます。
瞻彼洛矣、維水泱泱。
君子至此、福禄如茨。
韎韐有奭、以作六師。

瞻彼洛矣、維水泱泱。
君子至此、鞞琫有珌。
君子年、其家室。

瞻彼洛矣、維水泱泱。
君子至此、福禄既同。
君子年、其家邦。

なんともめでたい。

なお、「マンボ」でも結構です。万保5年には当然一年中こちらが流れるのであります。

MAMBO No 5 - PEREZ PRADO - YouTube


# by kokuminbunka | 2019-04-03 00:32 | 『思想と国民文化』

新元号

新元号が発表されたそうです。それはそれとして、意外に早く他の案も出てきて、結構なことだなぁと思うのですが、落選したのは、

  1. 「英弘」
  2. 「久化」
  3. 「広至」
  4. 「万和」
  5. 「万保」

の五案だったそうです。

「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」 新元号原案の全6案判明(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
なんでしょうこの「万」人気。万歳ってことなんでしょうか。

さてそれはそれとして、

  1. 「英弘」
  2. 「広至」

は国書からもってきたそうで、『万葉集』以外の国書は『古事記』と『日本書紀』なんだそうですが、まぁ、そこからもってくると色々面倒だよねぇと思わなくもなかったので、多分そこからは出ないだろうと思っていましたよ。

ただ、せっかくなので、出典を考えてみましたよ。

  • 「英弘」:『古事記』太安万侶「」より
設神理以奨俗、敷風以国。
神(あや)しき理を設けて俗(ならわし)を奨め、(すぐ)れたる風(おしえ)を敷きて国に(ひろ)めたまひき
(岩波日本思想大系『古事記』より)
まぁ、悪くはないですが、人名にありがちなのでこれはダメですかね。

  • 「広至」:『日本書紀』巻十九、欽明天皇紀31年(570)四月乙酉条
豈非徽猷被、徳巍々、仁化傍通、洪恩蕩々者哉。
豈徽猷く被らしめて、徳巍巍に、仁化傍く通せて、洪恩蕩蕩に非ざるものならむや。
(岩波古典文学大系『日本書紀』より)
まぁ、原文は綺麗な漢文なんですが、余りに狙いすぎかもしれません。どっちも動詞ってのは良くないんではないかと。まぁ、ここの「至」は「とても」の意味なのですが。

「久化」「万和」「万保」に関しては、「万和」は「ばんな」という読みが引っかかりそうなので、ダメかなぁと思いますが、「久化」「万保」あたりは良いかもしれません。出典を調べる気はしませんが。

とは言え、「久化」の「化」ってのは今時宜しくないとなると、「万保」でしょうか。「万邦」につながるから危険だと言う人はいそうですが。

まぁ、せっかく決めたので、長く使っていただけると有難いところではあります。

# by kokuminbunka | 2019-04-02 13:25 | 『思想と国民文化』

だらだら

GeoCitiesが終了するということで、1998年07月24日に設立されました当研究所もそのまま終了かなぁと思っておりましたが、そういえば15年程前にブログを作っていたことに気付いたのでしたよ。

ということで、せっかくですからまたダラダラとやってみようかと思いますが、結局放置なんだろうなぁと思いつつじっと手を見るテストなのであります。

# by kokuminbunka | 2019-03-27 14:57 | 設立趣意書

国産の圧縮形式「LZH」のUNLHA32.DLLの開発中止へ、LZH形式使用中止を呼びかけ - GIGAZINE

国産の圧縮形式「LZH」のUNLHA32.DLLの開発中止へ、LZH形式使用中止を呼びかけ - GIGAZINE
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100607_lzh_end/

LZHの開発が中止になるとのことで、なんかやるせない気持ちになりました。

情報化社会における偉大な発明品
http://www.geocities.jp/kokuminbunka_3776/joho.html#lha

なんてお間抜けなことを書いたのが、懐かしいです。

脆弱性情報の対象にならないのが一つの理由のようですが、なんかなぁ。
# by kokuminbunka | 2010-06-07 15:40 | そのほか

再生可能メディアとしてのフロッピーディスク

ついにフロッピーディスクドライブの生産をメーカーが打ち切りへ - GIGAZINE
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090727_fdd/

だそうでございます。

たしかに、この数年、FDを使ったことはほとんど記憶にございません。基本的に、物理的なメディアでもってファイルをやりとりすると言うことはかなりレアケースになりつつあります。基本、ネットワーク経由ですよね。まさに、エーテル科学の勝利と申せましょう。

ちなみに当方の業界では、投稿論文は未だにオンラインではございませんで、基本的に紙で提出し、査読通過後、別途記憶媒体を郵送といった感じでございます。

で、ここで問題なのがどういうメディアを使うかと言うことなのですが、だいたいそういう場合はFDなんですな。50kバイトも無いようなファイルのためにわざわざCD焼くのも無駄だなぁと思うわけですよ。FDは再生可能なメディアですので、結構便利だと思うのです。

まぁ、斯く言う当方も、ここ数年自分でFDを購入したことがございません。大体、人から送られたものを再利用して投稿用に回したりしています。まさにFDは天下の回りものと申せましょう。

しかしながら、この数年というもの、FDサプライは減少傾向であり、多量のタンスFDが存在しているのではないかと思います。このうえドライブの生産停止まで行ってしまってはどうすれば良いというのでしょうか。

嗚嗟、こんなことなら日食の時、遮光フィルタとして利用していれば良かった。>なりません
# by kokuminbunka | 2009-07-28 09:03 | そのほか

迷惑コメント

コメントをつけるとコレがあったんですな。

ご面倒ですが、承認制にしておきます。

しかしまぁ、こんなところまで書き込みにくるもんですな。
# by kokuminbunka | 2009-07-23 13:09 | そのほか

皆既日食

皆既日食が迫っているということでして、世間一般大にぎわいのご様子で、一部の南の島の方では入島制限を実施したりしなかったりとか。

まぁ、今回の地域が少々北寄りでしたのでよかったのですが、もう少し南の方に偏って、国境的にいろいろ面倒な地域であったらこれまた大変だったのではないかと、天が落ちる訳でもないのに杞憂をいたして日を過ごしております。

さて、猫も杓子も「皆既日食」でございますが、これほど人口に膾炙されながらも、いまだにその「皆既」の意味を正確に説明してくれたメディアにお目にかかったことがございません。いや、皆既日食の構造と申しますか、月と太陽と地球の位置関係がどうだこうだというのは教えてくださるのですが、なぜこれが「皆既」日食というのかということについては、さっぱりでございます。

皆既と申しますのは、「みんなすでに」という意味では当然ございませんで、「既」は「つきる」と読みます。はるかさかのぼること2700年前の桓公三年(BC709)に以下のように載っております。

○秋七月壬辰朔日有食之既〈既尽也……皆既者正相当而相奄間疏也〉(『春秋左伝』)
(秋七月壬辰朔、日の之れを食する有り。既なり。〈既は尽くるなり。……皆な既くるとは、正さに〔日月が〕相ひ当りて、〔太陽と地球の〕間疏を相ひ奄ふなり。〉)

このように、「皆既」と使われており、このコトバが、西洋科学の伝来とともにtotal eclipseの訳語として用いられるようになったわけでございます。

それにつけても想われるのが、「皆既」などということばを、よくもよくも当時の学者が知っていたものだなぁということでございます。もちろん東アジアにおいて展開した経験科学の上に、西洋科学の受容があるわけであって、近代初頭の自然科学者が、和語・漢語に対する深い学識を有していたことは疑いもない事実であります。

思い起こせば、蘭学受容の過程で、これら先人は、それまでの学問には存在しなかった器官(=「腺」)に対して、新たなことばのみならず漢字までも作り出してしまった訳でございます。日食を前にして、その日本語に対する執着に畏敬の念を新たにするとともに、我々の日本語能力の低さをなんとも哀しく思ったりする次第でございます。
# by kokuminbunka | 2009-07-21 15:32 | そのほか

今を生きるエーテル科学

このところ大学では「日本文化論演習」(仮)をやっております。

留学生が日本における心身論(霊魂―身体論)をテーマにお話したのですが、比較としてヨーロッパの心身論についても言及してくれました。その際、キリスト教における復活Resurrectionに関して、「死者の肉体が無ければならないというワケではなく、復活に物理的な肉体は必要ではないと考える人もいる」と、彼は宣いました。

彼が言うには、「復活するときの肉体は、霊魂Spiritによって「空的な肉体」が形作られるので、物理的なこの世の肉体は不要らしい」とのこと。

「嗚嗟、霊魂から作るのね。なるほど。いや、ちょっと待て。その「空的な肉体」ってなんだ?」

当然出てくる質問でございます。とはいえ、なんかどうも要領を得ない回答でしたので、英語で言ってみてと申しますと、

「イーター」

とおっしゃいます。「イーター」と言われても、「マンイーター」しか思い浮かばないなんとも頭の悪い教員で申し訳ございません。

「ごめん、スペル書いて、原文の」

と言ったところ、彼が書いてくれたのが、

ether

でございます。

「嗚嗟、etherですか。ん? そりゃ、エーテルじゃないですか? それを日本ではエーテルと言います。ドイツ語系の読み方です(ホントはオランダ経由らしいです)」

とたたみかけるように言う当方。あちらは

「嗚嗚、エーテルというのですか」

と、あっさり。

かくしてすべてが氷解いたしました。なるほどねぇ、エーテル的肉体でしたか。それなら物理的肉体が無くても良いですよね。

そこで思い出したのが、日頃お世話になっているethernetでございます。イーサネット、イーサネット言っておりますが、よくよく考えてみればエーテルネットなわけでございます。

調べてみますと、どうやら、本当にエーテルネットだったようでありまして、

ethermanage.com
http://www.ethermanage.com/ethernet/ethername.html

によれば、物理的なネットワークの間のメディアとして、エーテルということばを採用したそうです。エチルエーテルなんてインチキエーテルではなく、本当のエーテルが今も生きていることを想いを致しながら、今日もエーテルに駄文を載せているのであります。
# by kokuminbunka | 2009-07-15 00:22 | 『思想と国民文化』

再起晩成

なんとか復活を目指そうと思っていたのですが、公私共々大童でございまして、なんとも驚きの放置っぷりでございます。

もう昔のようにHTMLを書くだけの気力がないことを痛感したので、こちらのブログをメインにしていこうと思っております。跡地となったgeocitiesの方には、このブログが埋め込まれた形になっていますので、右下の「跡地」リンクをクリックし続けると、入れ子式にどんどんウィンドウがはめ込まれるので、ちょっと気持ちが悪いです。

そういや、テレビカメラでの画像が映し出されているテレビにカメラを向けると、映像が永遠に映し出されたことを思い出しました。ついでにやった直後、「カメラが壊れる」とエラく怒られたことも思い出しました。

ホントに壊れたのかな。

どうぞ、今後ともどうぞよろしくお願いします。
# by kokuminbunka | 2009-07-14 23:30 | そのほか

山の上ホテル物語 / 常盤新平/著 - Yahoo!ブックス

山の上ホテル物語 / 常盤新平/著 - Yahoo!ブックス
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31838356

御茶ノ水駅から明大通りを神保町の方へ参りますと、明大の二つのキャンパスに挟まれた細い路地があります。その道の入口にひっそりと掲げられている「山の上ホテル」の看板。目にはしておりますが、仲々にその実態を知ることが出来ないその「山の上ホテル」を取り扱ったノンフィクションが本書。

ちなみに、明大が「リバティー・タワー」なんて洒落たものを建てたもんで、これが「山の上ホテル」だと勘違いしてホテル予約を取りに来る人もいるとか(明大の先生に伺いました)。

「山の上ホテル」に憧憬はあるものの、なんとも二の足を踏んでしまう方、神保町奈辺を徹底攻略されたい方には必携のアイテムと申せましょう。なお、神保町に参られる際は、「インド風カリーショップ エチオピア」もお忘れなく。見るだけでもいいですから。
# by kokuminbunka | 2007-02-07 09:52 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

簡単ビラの作り方&マンガ・カットCDーROM

簡単ビラの作り方&マンガ・カットCDーROM 第4集――Mac & Win対応
出版社 発行所 : 日本共産党中央委員会出版局
税込価格 2,980円(本体2,838円+税)
発行年月 2006年11月
判型 B5
ISBN 4530044041

嗚嗟、こういうものを使って作られているのですね、あのビラとか伝単とか怪文書とか。こういうものを用意するあたりが、さすが日共というべきか。一瞬欲しくなりましたが、たぶん当方が望んでいるような「マンガ」はないだろうと思うので、パス。出来れば、北斎漫画をCD-Romで出してください。

ちなみに、

Hokusai Manga Construction Kit
http://www.adgame-wonderland.de/type/hokusai/index.php

というのはあります。
# by kokuminbunka | 2006-11-11 08:19 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

和田登『踊りおどろか「憲法音頭」――その消えた謎の戦後 』

書 名 踊りおどろか「憲法音頭」
副書名 その消えた謎の戦後
出版社 発行所=本の泉社
著 者 和田登
税込価格 1,785円(本体1,700円+税)
発行年月 2006年7月
判型 A5
ISBN 4880239607

さぁ大変です。憲法で音頭です。

いや、先日購入していたのですが、ただただオマケのCDが聴きたくて買ったので、中身はあまり読んでませんでしたですよ。

にしても、音頭かぁ。日本人の音頭好きにはホトホト呆れます。夏になればアニメのエンディングは、音頭一色でございます。大滝詠一プロデュースの「イエロー・サブマリン音頭」何ぞもございます。

そうこうして、音頭を色々物色しておりますと、よほどにイッてしまった音頭が、

シュレディンガー音頭

でございます。

シュレディンガーといえば猫。犬派ならパブロフの方にでも行ってしまえ、と暴論が吐かれるほどに猫が有名であります。が、この音頭、猫はまるで出てきません。そんなな生やさしいものではないのでありまして、是非ご一読をお勧めする次第でございます。
# by kokuminbunka | 2006-11-02 01:22 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

水林彪『天皇制史論』

天皇制史論/水林彪

出版社 発行所=岩波書店
税込価格 3,990円(本体3,800円+税)
発行年月 2006年10月
判型 B6
ISBN 4000240226

嗚嗟、今度出るという噂のご本はこれでしたか。天皇制史というと、

石井良助の『天皇』がよく知られていますが、当方先日までこの本が、戦後すぐに石井先生がだした同名の本と別のモノであることを知りませんでした。あやうく、エライ恥をかくところでしたよ。

まぁ、書いてあることは大して変わらないんですけどね。
# by kokuminbunka | 2006-10-30 08:45 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

日本人の異界観/小松和彦

日本人の異界観――異界の想像力の根源を探る/小松和彦

読みたいなぁ、とおもうので、メモ。
# by kokuminbunka | 2006-10-19 09:33 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

朝鮮通信使をよみなおす/仲尾宏

朝鮮通信使をよみなおす――「鎖国」史観を越えて/仲尾宏

「鎖国史観」というのは、もう大体越えられているとは思うのですが、しかしながら当時の日本人の意識の問題として、「鎖国だろうが海禁政策だろうが、外部との交流がない」というのは事実なわけで、たとえ外からの文物が入ろうとも、結局はエキゾチックな感覚にすぎなかったのではないかと思うわけです。

むろん、18世紀前期の日本銅が世界の銅流通のかなりの部分を占めていたのは確かなのですが、経済的関係がそのまま客観的認識をもたらすわけではないという良い例であります。

やっぱり今日的な意味での外交関係を前提に考えてしまってはまずいんじゃないのかなぁと思うわけですよ。だって、朝鮮通信使を朝貢使節と思っていた日本人だっていたわけですから。

歴史を想起するのは、それ自体を目的としているというよりは、想起することによってもたらされる効果を目的としているのかもしれません。
# by kokuminbunka | 2006-10-19 09:32 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

皇位の正統性について/小堀桂一郎

皇位の正統性について/小堀桂一郎

「歴史を知らないから議論がおかしくなる」というのが基調なわけですが、「歴史を知っているからそういう議論をしている」という人間に対してはどう応えてくれるのでしょうか。
# by kokuminbunka | 2006-10-19 09:21 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

西鶴と浮世草子研究


西鶴と浮世草子研究 (Vol.1)

とある研究会に出たら、「是非買ってくれ。本屋が××××部も刷るという暴挙に出たから、もしかすると危険水域かもしれない」というお話しでご紹介。まぁ、売れると踏んだから出すのでしょうけどね。

別に当方は西鶴なんかよく分からないのですが、「西鶴浮世草子全挿絵画像CD」が付いているそうなので、その点だけで欲しくなって注文しました。と、いうか画像CDって何だろうなぁ。ピクチャーCDのことかもしれません。む、フォーマットどうなってんだろう。すくなくとも、ピクチャーレーベルCDの略ではないはずです。っていうか、浮世草子の挿絵がピクチャーレーベルになっていたからといってどうしろと?

何はともあれ、「画像CD」が気になる方は、是非ご購入を。
# by kokuminbunka | 2006-07-09 00:48 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

風水講義/三浦国雄

オンライン書店 本やタウン: 本: 風水講義/三浦国雄

いざというとき食いっぱぐれたらインチキ風水師で食いつないでやろうと画策しております当方と致しましては、どうにも見逃せないタイトルであります。かつまた、お値段もお安いところがステキです。

とりあえず、注文しておきました。待て続報。(あるのか?)
# by kokuminbunka | 2006-01-20 00:25 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

戦艦入門

Yahoo!ブックス - 戦艦入門 新装版 / 佐藤 和正 著
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31638372

旧版:戦艦入門 (光人社NF文庫) 動く大要塞徹底研究 佐藤 和正著
税込価格 : ¥780 (本体 :¥743) 出版 : 光人社 サイズ : 文庫 / 337p
ISBN : 4-7698-2178-6 発行年月 : 1997.11
http://www.bk1.co.jp/product/1469787

光人社NF文庫というのは、男子たるもの一度は手に取ったことがあるのではないでしょうか。
しかしながら当方あのシリーズを買うたことがございません。

それはそれで、少ないお小遣いをどのように使うかという選択の結果であり、後悔はしていないのですが、この、タイトルは仲々に引かれるものがございます。なにしろ、『戦艦《入門》』でございますから。

「入門」と申しますからには、まずは束脩(そくしゅう)の儀を恙なく執り行い、最初は甲板磨きなどの雑用をこなしつつ、師匠に稽古を付けてもらい、最終的には免許皆伝を受け、ついに一流をなすに至るのでありましょう。問題は、このご時世に軍艦の皆伝を受け手もどこにも使いようがないという、まことにもって泰平の世の素浪人のような事態なのでありますが、残念なことにそれは泰平なるが故ではなく、紛争の局地化による、大艦巨砲主義の消滅という実にやっかいな情勢が起きているためなのであります。

ちなみに、この著者

ビーケーワン:空母入門
http://www.bk1.co.jp/product/2606028

なる本も書いているようです。こちらの方は、まだ仕官の口はありそうですが、現状まともな空母中心の機動部隊ってアメリカくらいしか持っていないのではないかと思うのですが、どうなんでしょう。原子力空母が日本に常駐するのも秒読みのようですが、これを読んでも、たぶんそういう問題には対応できないかもしれません。

中国新聞・政治:地元も理解してもらいたい 首相、原子力空母配備で
http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2005122601001776_Politics.html
# by kokuminbunka | 2005-12-27 01:13 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

天長節を言祝ぐ

ステキな天長節をお過ごしでしょうか。クリスマスイブイブとか抜かしている方はおられませんでしょうか。会ったこともない神様よりも、現人神について思いを馳せた方が、いろいろな意味で面白いと思います。

そこで、この新刊です。

近代天皇制と国民国家――両性関係を軸として/早川紀代

天皇・国民国家・性という三題噺がどうなるのかと仲々に興味のそそられるところではあります。
# by kokuminbunka | 2005-12-23 09:35 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

開戦の詔書 大日本帝国憲法・教育勅語・大本営発表・ポツダム宣言・終戦の詔書

開戦の詔書 大日本帝国憲法・教育勅語・大本営発表・ポツダム宣言・終戦の詔書 / 自由国民社編集部/企画編集

嗚嗟、こういうものが売れる時代になったのですね。当方の気になるところは、大本営発表がどの程度網羅されているのかということであります。まさか、「西太平洋ニ於イテ米英ト戰爭状態ニ入レリ」だけしか入っていなかったらまことに遺憾であります。

こういったものをありがたがる方々の気持ちもそれ相応に分かるのでありますが、「帝国ト共ニ、終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」といったあの「遺憾ノ意」が、今日どこに行ってしまったのか、ということを想起していただきたいわけであります。それは、一つの「戦後責任」といえるかもしれません。

かつて、日本の国家元首が次のような「痛切な反省の意」を表明したことは、周知のところであります。

    わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

この発言があの村山という爺さんによって発せられたと言うことが、やはりことばの重みをもたせているわけであり、今日も本気でこの路線で色々やってくれれば、面倒も少ないのにと思わなくもないのですが、それはそれとして、ここで問題にしたいことは、ここには、あの「遺憾ノ意」は全く存在しないということであります。ただひたすらに、「日本一国がアジアを戦争に落とし込んだ」という「罪」を謝しているわけです。

しかしながらこの「日本一国がアジアを戦争に落とし込んだ」という罪の意識は、「日本 vs. 世界(=アジア)」という図式を当然のように想起させるわけであり、返す刀で日本一国が戦争被害者であるかのような認識(ABCD包囲陣!)をもたらしかねないのであります。このことは、「唯一の被曝国」という主張が何を意味するのかと言うことについて改めて考えさせるものでもあります。むろんそれは被曝自体のもつ普遍的な意味を否定するわけではないのですが。

歴史的文脈から切り離された責任論は、あまりにも空虚です。なぜ日本帝国があのような行為を致したのか、という真摯な検討を、結論からではなく、事実に基づいて考える必要があります。結果論では「勝っていたら正しい戦争だった」ということになりかねないのであり、それをすべて「誤った国策」「独善的なナショナリズム」ということに収斂させてしまってよいのでしょうか。日本帝国には、アジアを戦争に「落とし込んだ」責任もありますが、アジアを戦争に「導いた」責任もあるはずです。責任とは結果に対してだけではなく、行為そのものにもあるのではないかと、「東アジア共同体」なるものの構築が論議せられるたびに、斯く思うのであります。

東アジア共同体評議会[CEAC,ASEAN+3,政策プラットフォーム,調査研究,政策提言,シンクタンク,東アジア共同体,地域統合,産官]
http://www.ceac.jp/j/
空論「東アジア共同体」
http://www.ceac.jp/j/column/050404.html
岩波新書 東アジア共同体
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0411/sin_k202.html
評論:今まさに築かれる東アジア共同体、その価値観--人民網日文版--2005.11.15
http://www.people.ne.jp/2005/11/15/jp20051115_55151.html
# by kokuminbunka | 2005-11-26 10:26

検討課題

ためしに一番はじめの『思想と国民文化』を載せてみたのですが、結構長くかつ読みにくいことが判明いたしました。あまり宜しくはないのかもしれませんが、字数制限ですとかをかけながら書いてみようかなぁと思ってみますよ。

もしかすると、読みやすいブログの書き方とかもあるのかもしれませんが、まぁ、そもそもこの叙述自体がブログ形式に相応しいかどうか、はなはだ疑問ではあります。
# by kokuminbunka | 2005-11-23 00:03 | そのほか

中世封建制をめぐる悲喜こもごも―中世封建社会の評価―(1998.10.10)

 つい最近まで、この中世という時代の評価は極めて低うございました。つまり、中世は封建制で精神の桎梏(しっこく)な暗黒時代だとされていたわけです。こういう評価を定着させた人は、あのヘーゲル大先生です。

 ヘーゲル先生は、「すべての歴史は自由への歴史である」と主張して、東洋における一人の自由(専制君主)ゃ古代ギリシヤ・ローマにおける少数の自由(ポリス的自由)に対し、ゲルマン君主国におけるすべての人の自由を最高のものとして提出するわけであって、こうした世界史に対する観念からすれば現代(=近代・モダ~ン)以前のものはみんなダメなわけです。

 それでは、中世以前の古代ギリシヤ・ローマはもっと悪いのかとゆうと、あにはからんや、さにあらず、なのであります。このヘーゲル先生とゆう先生は、いわゆる形式論理学ではなく、弁証法に基づいた論理学を構築した人で、よく正反合とかいわれますが、「テーゼ・アンチテーゼ・総合」とゆう論理の展開です。ヘーゲル先生はこの論理の展開を歴史の展開にもあてはめて考えたわけで、はやいはなしが歴史的展開というのは、前の時代を否定する過程だと考えたわけです。

 現代(ヘーゲル先生の生きていた頃ですね)は、中世の否定である。その中世は、古代の否定である。否定の否定は、同じとはいわないまでも或る点において、にかよっているのであり、実際古代と現代とではヨリ多くの人々の精神的な自由を希求する精神においては同じであって、これは高く評価されるべきですよアナタ、とヘーゲル先生は思ったわけです。

 ヘーゲル先生にとって、歴史の終わりであるべき現代こそ最高の時代であらねばならないわけであって、同時にその否定の否定としての古代は高く評価され、またその否定としての中世は低く低く評価されなくてはならなくなるわけです。

 どうも、この中世蔑視の傾向はながく尾を引いて、ヘーゲルの批判的継承者である同志マルクスなんかも歴史観としては中世=封建制=桎梏=暗黒時代の立場ですね。「ブルジョアジィはそのとめどもない生産によって社会に残る様々な遺物を洗い流して、世界を一つにしてくれる点でのみ評価できる存在である」みたいなことを、なかよしのエンゲルス君に言ったりしてます。この同志マルクスの中世観こそが、その後の歴史学をかなり強くしばってきたのです。

 ヘーゲルを批判的に継承したといっても、やっぱりその論理様式は弁証法なわけですが、同志マルクスは、ヘーゲル流の観念論から脱退して唯物観念論をうちたてたトコロに違いがあるとしておきましょう。まぁ、それにしても歴史的展開の把握は否定の否定で一つ一つの段階を過程し進歩していくとゆう、いわゆる発展段階説だったという点では同じです。

 同志マルクスにはじまるマルキシズムに基づいた発展段階説によって、古代奴隷制→中世封建制→絶対主義→近代資本主義→社会主義→共産主義といったいわゆる歴史の必然性が永久普遍の原理として歴史学に通用してきたわけですが、よく考えてみればそんな歴史展開をしてきたのはヨーロッパくらいなもので、その他の大多数の地域ではまるで関係がないのです。(どういうわけか日本は非常に似ているのが不幸の始まりだったのですが…。)まぁなんにしろ、発展段階説というものは結局は一特殊地域の法則であって、(少なくとも近代以前の) 世界史は均一に流れてきたものではないことがいえます。

 そもそも同志マルクス自身も、「ブルジョア社会の本来的任務は、世界市場の樹立、取敢ずはその大枠だけでも造ることであり、またその基礎に拠った不動の生産を樹立することである。世界は丸い、それ故に世界市場の樹立とゆうのは、カリフォルニアとオーストラリアの植民地化(Kolonisation)、及び中国と日本の開国(Aufschluss)によって完了するようにみえる。」なんていっておりまして、近代以前に「世界」史なんてもんはなかったんだよと認めているのに、弁証法的世界史の把握というヘーゲルの影響がぬけていないわけです。

 現在は、中世=暗黒時代とゆう観念もようやく薄れつつあるようですが、「民主的幕府体制の確」立」とか、政治学の根本観念も失うような、意味のよくわからない発言がおおやけの場で繰り返されたり、「幕藩体制とは地方分権でありまして…」とか真顔でいわれたりする時代(かつて某野党第一党は国会でこんな事を言っていたのです――2005.11.22追記)でもあります。近代的中央集権体制が最近うまくいかなくなったから、近代以前の近世幕藩体制をもってこようとかいうのは、かなり低次元のエセ弁証法でもあります。これはこれで困ったもんではあります。こういうのを普通わ歴史に学ばないヤツといいます。
# by kokuminbunka | 2005-11-22 09:20 | 『思想と国民文化』

武士道と日本型能力主義

笠谷和比古(かさや・かずひこ)著 新潮社
本体1300円  20cm 250p (新潮選書 )
分類:210.5 件名:日本-歴史-江戸時代 05035723
4-10-603552-9 / 2005.07 対象:般
 付:島原陣図屏風「出陣図」(2枚)

http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=05035723


笠谷先生といえば、何は置いても『主君「押込」の構造』なわけでありますが、これが現在なかなかに手に入りにくい。図書館あたりでご覧いただければ幸いです。

まぁ、早い話が、近世日本の藩というのは、いわゆる中世的な領主専制体制ではなく、藩主は時には「押し込められる」ような存在であったのであり、その意味では、「おみこし」的リーダ像をそこに見いだすことが出来るということを、歴史的に明示しようとした労作であります。

しかしながら、ここで問題となりますのが、はたしてこのような近世武士社会における体制が、近代以降の日本においてもそのまま継受されたのか――さらには、このような体制が日本の特質であるのかということであり、この点は、今なおもって検討するに値することではないかと考えるわけです。

この点に関しては、またいつかお話しできればいいなぁと思わなくもなく。
# by kokuminbunka | 2005-07-16 00:18

竹島及鬱陵島/奥原碧雲(著)

竹島及鬱陵島/奥原碧雲(著)

まことに不勉強をさらすようでございますが、この「ハーベスト出版」という書肆を当方は存じ上げておらなかったのであります。

で、内容は今から100年前に実施された島根県による竹島調査記録の再版なんだそうです。まぁ、竹島本は、まったく世の中に流布しまくっておるわけですが、なにが注目すべきであるかと申しますと、並製本126ページ・950円というお値段でありましょう。ハッキリ言ってこの値段のおかげで買う気になったのですが、どうも一般流通していないようで、直販で頼むしかないみたいなのがどうにも面倒です。

あの島が、独島であろうが竹島であろうが、どちらにせよ、もはや日本人はそんなもので、ナショナリズムを喚起されるほどウブじゃないと思うのですよ。まぁ、カニの存亡がかかってくるというのであれば、喚起される人もいるでしょうが。
# by kokuminbunka | 2005-07-13 06:45

無能偕楽運動の方向転換

まぁ、いろいろ考えたすえ、もう少しまじめに生きていった方がいいのではないかと思ったわけで、また再びここに、「なんか気になるけど買うかどうか分からない本」を紹介していこうと思います。
# by kokuminbunka | 2005-07-13 06:32

シャウプ勧告に帰れ

またぞろ、扇情的なタイトルでありますが、なんのこたぁない消費税総額表示に伴うおはなしであります。

端数の切り捨てor四捨五入によって、総額表示と実際に支払う金額との齟齬が発生しているということは、以前から存じておりましたが、先日、Shop 99で、商品を一つ購入しましたら、99円に消費税で103円だったんですね。ところが、2つですと、207円じゃぁないですか。

おいおい、ちょっとまてどういう計算になっているんだ?

そう思ったわけですよ、家計(世帯主1のみ)を預かる当方と致しましては、そこのところが妙に気になり、家に帰るなり、エクセルで、ほとんど使いもしないROUND函数なんか使って、計算してみましたよ。

その結果が以下です。

個数     単価      実払い     理想値     差額
1        99        103        103        0
2        198       207        206        1
3        297       311        309        2
4        396       415        412        3
5        495       519        515        4
6        594       623        618        5
7        693       727        721        6
8        792       831        824        7
9        891       935        927        8
10       990       1039       1030       9
11       1089      1143       1133       10
12       1188      1247       1236       11
13       1287      1351       1339       12
14       1386      1455       1442       13
15       1485      1559       1545       14
16       1584      1663       1648       15
17       1683      1767       1751       16
18       1782      1871       1854       17
19       1881      1975       1957       18
20       1980      2079       2060       19
:         :         :           :         :

この表から分かることは、1個買うときが一番安いということですね。個数が増えれば増えるほど、払わなければならない金額が増えるという、恐ろしい事態。

ちなみに、20個買うときに、10+10個で購入すると、それでも1円おトクです。

まぁ、一つ一つ勘定させる手間と強い心臓が必要なんですがね。

なんか所帯じみてきました。どこが思想なんだ、っていうか史的唯物論(=経済主義)万歳。>オイ
# by kokuminbunka | 2005-04-30 19:18

だらだら思想研究……国民文化をスノッブかつペダンティックに研究しております。
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