国民文化研究所



オリエンタリズム

オリエンタルのリズム――ではありません。

こういうニュースがありました。

【国際結婚10%時代】アジアからの花嫁が泣いている
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/22/20050322000006.html

日本の話ではありません。韓国のお話しです。まことに残念なことにこの原記事を見ておりませんので何とも言いがたいのですが、韓国でも「アジア」と書くのだなぁと思った次第。この「アジア」に韓国が入っていないのは、自明であります。「アジアから」来る以上、そこは非「アジア」でなければならないのであり、畢竟みずからを「アジア」と見做していないことを意味します。

「あたしアジアに行きたい」とのうのうと曰う方を見かけるたびに、「何をぬかしてんだ、コラ」と思い切り突っ込んでやりたくなるのとちょっと似てます。

おめでとう東方礼義之国。おめでとう脱亜。どこに入って行くのか、是非教えてください。東方君子国はエラいところに突っ込んでしまいました。
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# by kokuminbunka | 2005-03-22 22:17

恐れ多くも畏くも

地震すごかったみたいですね。当方も先日福岡に行って来たばかりだったので、なんとなく気をもんでしまいます。しかし、恐れ多くも畏くも、この大地震を予知した神が坐(ましま)したまふとぞ云ふ。

佐賀県みやき町白壁の千栗八幡宮(東正弘宮司)でお粥で占う恒例神事で、

> 珍しく「地震に注意」と出たため、東宮司は「心を落ち着けて良い年に
> なるよう祈りましょう」と参拝者に呼びかけた。

そうです。

とぴっくす:お粥試しは「地震に注意」 /佐賀
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/20050316/saga.html
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1034565/detail
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050316-00000178-mailo-l41

祈りが足りなかったのかどうか分かりませんが、まぁ、なんというか不思議な占いであります。


おまけ 「気象庁は何をやっている」 ネチズンの非難殺到
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/20/20050320000026.html

「日本 のNHKを見ながら地震状況を把握しなければならない国民の心情が分かるのか」

というのは、なんとなく分かりますが、とりあえず受信料払って下さい。っていうかソウルでNHK-BSが見られたのは不思議だったなぁ。
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# by kokuminbunka | 2005-03-21 22:09

とりあえず、生きてます

どこかで「竹島の日」ができたそうで、「へぇ、そういうモノなんだねぇ」みたいな感慨に耽っていたわけでありますが、対抗して「対馬の日」が出来たそうです。

韓国の市議会が「対馬の日」条例 竹島問題、交流に影

「なんなんだその泥仕合は」
http://www.asahi.com/politics/update/0318/006.html

と言いたくもなりますが、それよりも何よりも、どこかで、「任那の日」とか、かなり微妙にして、かつ見かけたら腹を抱えて笑い転げそうなことをやる人間が出てきたらどうしようと、意味もなくドキドキしてしまっていたりするわけであります。

他にどんな日が考えられるか、挙げてみましょう。

「広開土王の日」
「渤海の日」
「青島の日」
「親魏倭王の日」
「国姓爺合戦の日」
「義経渡蒙の日」

……段々怪しくなってきました。っていうか、「記念日」という行為自体、「怪しい」のですがね。
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# by kokuminbunka | 2005-03-19 22:04

『親鸞』吉本 隆明著 春秋社刊 ¥2,500(税込:¥2,625)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02491289&aid=ex

親鸞というのは、どういうことでしょうか、実にもって知識人――とりわけ仏者以外のそれ――の魅力を引きつけるものであると申せます。やはり、泰西の宗教改革を想起させるところが、プロテスタントの倫理と資本主義の精神を感じさせるのでしょうか、<大塚久雄先生。

こういう親鸞理解というものは、以前もどこかで申し上げたことがあろうかと思いますが、福沢諭吉あたりが最初期に当るのではないかなぁと思うわけです。『学問のすゝめ』では「親鸞」の「宗教改革」は、「マルチン・ルーザ」(ルター)の「新教」に比べて、宗教戦争も起こさず、平和のうちに達成されたという形で比較されています。これは、比較思想史の点からみても興味深い叙述であります。

親鸞が知識人ウケであるといたしますと、それに対置されるべき仏教者と致しましては、どうしても日蓮を取り上げなければなりますまい。で、この日蓮というのは、どちらかというと大衆運動家というか、体制・反体制を問わず、実にアクチヴな方に好まれるわけです。

参考:『日蓮と親鸞』
中本 征利著 人文書院刊 ¥2,800(税込:¥2,940)
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02483980&aid=ex

そもそも日蓮自身がアクチヴなわけですから、そうなるのも宜なるかなと思うわけです。それにしても、国柱会と新興仏教青年同盟って方向性が似ているんだか違うんだか。

おまけ:『入門よくわかる親鸞』
武田 鏡村著 日本実業出版社刊 ¥1,400(税込:¥1,470)
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02484205&aid=ex
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# by kokuminbunka | 2004-11-15 09:33

『苟も日本人なら知っておくべき教養語』

林 秀彦著 PHP研究所刊 ¥1,300(税込:¥1,365)
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02481054&aid=ex

ああ、どうなんでしょうねぇ、「苟も日本人なら知っておくべき 教養語」ですからねぇ。まぁまぁ、どうにもこうにもです。

で、紹介文を拝見いたしますと、「薫陶、終の栖、蠢く、融通無碍、うまし国」なんてのがあるそうですよ。「漢語って日本語じゃねぇじゃん」という、ナショナリスティックを通り越して、とてもネイティヴィズムな発言をしようかなぁと思わないわけでもありますが、どちらかというと、近代以降に定着したさまざまなヨーロッパ語について真摯に考えた方が、「苟も日本人なら知っておくべき」なのではないでしょうか。

「モダーン」なんてのは、当方のような稼業にとっては、特殊な意味をもつのでありますが、まぁ、それはいいとしまして、一番取り上げたいのはやはり「~的 -tic」でしょうか。漢語を使うにしても、「苟も日本人なら」こんなインチキな日本語を使っちゃぁいけませんな。

・国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書より
「もと中国、宋・元の俗語で「の」の意味を表す助辞であったものを、明治以降、英語の -tic を有する形容詞の訳語に用いたことに始まる」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C5%AA&kind=jn&mode=0&jn.x=3&jn.y=15
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# by kokuminbunka | 2004-09-19 09:29

『千葉県の戦争遺跡をあるく』千葉県歴史教育者協議会編 国書刊行会刊 ¥2,000(税込:¥2,100)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02473561&aid=ex

戦争遺跡の雄と言えば、やはり松代大本営であろうというのは衆目の一致する所でありますが、なかなかそうそう入れるようなものではなく、御座所を遠地より遙拝するしかないのであります。って行ったことないんですけどね。

戦争遺跡というものに対して、どういう意味づけをするかというのは、各人の解釈なのでありますが、本土決戦をやろうと思った人間は、果たしてどういう展望があったのかなぁと思わざるを得ません。

ふつう戦争遺跡というとこういうものをいうのでしょうが、

素敵トーチカ
http://www.dokokyo.or.jp/ce/kikanshi0007/cover_wide2.htm

こんなのも、戦争遺跡と言えると思います。まぁ、どう評価するかは各人にお任せであります。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3776/nikou.html#top

ところで、「トーチカ」ってATOKに入っていないんですね。打つと「トーチか」になるんですよね。で、世の少なからぬ方々もそのように打っているようで、ネット上における共同態を感じる瞬間だったりするわけです。>違います

http://www.google.com/search?hl=ja&inlang=ja&q=%E6%B5%B7%E5%B2%B8%E3%80%80%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%81%E3%81%8B
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# by kokuminbunka | 2004-08-27 09:04

『フランス啓蒙思想入門』J.H.ブラムフィット著 白水社刊 ¥2,500(税込:¥2,625)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02468815&aid=ex

あー、啓蒙ですか。啓蒙ねぇ。よくあるはなしなんですが、「蒙(くら)きを啓く」というのが、そもそもの意味でありまして、そういう態度について批判することがあります。ちなみに面白いことに、あちらでもenlightenment――つまり「明るくする」なんてことばが使われます。啓蒙の精神ってのは同じなんですわね。

で、悪く言ってしまえば、「オマエらは、開化されるべき存在であり、単純に言っちゃえば〈愚民〉なわけ。仕様がないから、おれが教化してやろうじゃぁないか」と、恩着せがましくも人の迷惑顧みず押し掛けてくるようなものです。

さりながら、この「愚民観」というのは少しく考えなきゃ行けないことでありまして、「被治者は基本質的に愚かである」という考え方と、「愚かな人民が存在する」という考え方とでは本質的に相違しているわけであります。

前者は、如何に統治するかというところに眼目があり、人民はどこまでもどこまでも客体的存在でしかなく、あくまで治者の論理であります。しかし、後者は、人民は愚かであるからこれを恢復しなければならないということであり、これが啓蒙主義の論理であります。そこには、ある目標にむかってともに歩んでいこうという精神が存しているのであって、それを単純に「愚民観」と言い切ってしまう態度は、むしろ人民に対する無限の信頼といいますか、いわゆる「民衆信仰」というヤツであって、逆に迷惑な話ではないかと思わざるを得ないのであります。

http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/takuboku02.html
石川啄木「はてしなき議論の後」
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# by kokuminbunka | 2004-08-15 11:53

『大和と武蔵』吉田 俊雄著 PHP研究所刊 ¥1,500(税込:¥1,575)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02467499&aid=ex

正直なところ、大和と武蔵の違いなんてぇのはようわからんわけですよ。そりゃ、大和には対空防禦のための様々な施設があっただの、3番艦に信濃があったけど、やっぱり松代に大本営を作ったりしたからそんな名前になったんじゃないのかとか、紀伊はどうなったのかとか、いろいろあるわけですけども、そういうのはどうでもいいのです。

大和にしても武蔵にしても、明らかに航空兵力に対してまるで役に立たなかったわけですよね。そこがおよそおかしい。

  滅びたり滅びたり敵東洋艦隊は マレー半島クワンタン沖に
  いまぞ沈みゆきぬ 勲し赫たり海の荒鷲よ
  沈むレパルス 沈むプリンス・オブ・ウェールズ
   「英国東洋艦隊潰滅」(マレー海戦勝利の歌)
    作詞 高橋掬太郎  作曲 古関裕而  唄 藤山一郎)

と唄ったのはどこの国民か。

まことにもって慚愧の念に堪えません。日本人は自分自身の行為の引き起こした事件にもう少し内省的になって考えたほうがいいのではないかと思う次第。
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# by kokuminbunka | 2004-08-09 22:35

『多民族国家ソ連の興亡 1 民族と言語』塩川 伸明著 岩波書店刊 ¥7,000(税込:¥7,350)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02467464&aid=ex(別窓で)

原因不明の腹痛と頭痛によってタイトルのみ。…全然論理的でない表現だ。
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# by kokuminbunka | 2004-08-06 08:35

『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』玄田 有史・曲沼 美恵著 ¥1,575 (¥1,500)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02460212&aid=ex(別窓で)


その昔、DINKSということばがはやりました。

Double Income No Kidsということなのですが、80年代あたりの「共稼ぎ・子供なし」の夫婦のことだそうです。当時は当時でいろいろ批判もされ、論議になったわけですが、なんですか、NEET( Not in education,employment,or training)ですか。これに比べればずいぶん前向きだったなぁと思わなくもなく。

そういう捉え方自体がこの本にとっては、迷惑千万なのでしょうが、今日も時間がなく、オチもなく終わります。

二三日で帰ってきます。
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# by kokuminbunka | 2004-07-31 07:28

『イデア 美と芸術の理論のために』E.パノフスキー著/伊藤博明・富松保文訳 ¥1,575

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02450858&aid=ex

そのむかし、こういう阿呆なことを書いたなぁと、思い出しました。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3776/ideal.html#top
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# by kokuminbunka | 2004-07-28 21:07

『日本洋学史』宮永 孝著 三修社刊 ¥4,800(税込:¥5,040)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02449055&aid=ex(別窓で開いてください)

洋学と申しますと、やはりバテレンの妖術と言うことになります。そうじゃないという方もおられますでしょうが、まぁ、それはそれとして。

たとえばですね、当時の排耶書(キリスト教排撃書)なんかを見ますと、「地球儀」ですとか「プリズム」ですとかを使って、「不思議大好きな日本人を幻惑している!」などと糾弾しているわけですね。まぁ、バテレンの妖術とは言っても、それほど人知を絶したものであるわけでもなく、見る人が見れば、「嗚嗟子供だましね」とか「カラクリじゃん」とアッサリと看破されること必至だったわけであります。そもそも、宣教師だって専門の学者ではないわけですから、「じゃぁ、これは一体どういうわけなんだ」とか詰問したら、「ごめん、わかんねぇ」とか「紙の御技です」とかいってごまかすしかないわけです。

そうこうしているうちに、日本ではキリスト教が禁止になり、直接「妖術」を教えてくれる人がいなくなってしまったのですが、中国大陸にはまだまだたくさんおりまして、この人たちが、世界地理書であるとか、暦学書なんかを漢文に翻訳してくれたので、日本人はこの漢訳洋書を経由して、西洋の文物を摂取することが出来たわけです。

ただし、ここで注意していただきたいことは、その内容がどれほど西洋に出自するものであったとしても、漢文で著されている限りにおいてそれは儒学・漢学という既存の学問体系の内側に存していたわけであり、その点で、まだまだ新しい学問体系の到来ということにはなりませんでした。

『解体新書』の訳出という「事件」は洋書を洋書として――すなわち原書で――読むようになったという意味で、全く新たな学問体系――最近のはやりことばで言えば「学知」――を成立させたものとして高く評価すべきものなのであり、これ以降、洋学は蘭学として独立した体系を確立させていくのでありました。……って、なんか『思想と国民文化』みたいだ。
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# by kokuminbunka | 2004-07-27 22:39

『近代日本の徴兵制と社会』一ノ瀬 俊也著 吉川弘文館刊 ¥8,000(税込:¥8,400)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02443958&aid=ex(別窓で開いてください)

そのむかしは、一銭五厘の赤い紙がやってきて人々を連れ去っていったわけで、いまのお金に換算するとはがき一枚が50円なので、当時の1円は、50÷0.015=3333.33…円となるはずです。たぶん、計算が間違ってなければ。

まぁ、こういうのを机上の空論というのであり、円タクとか、円本とかをかんがえると、「三千円って高くないか? っていうか、それって一回の呑み代(「のみしろ」と読んで下さい)だろう」とかすごい思ってしまうのですが、まぁ、昔と今とではいろんな社会関係も違い、人件費その他も違い、易々と等価交換できないところが経済が生き物であると言われる所以なのだなぁ、などとよくわからないことを納得しながら、

「とりあえず、50円で自分の人生左右されなくて良かった」

と心の底から思う次第であります。

まぁ、当方の弩近眼をもってすれば、丙種合格請け合いであり、即日帰郷という名誉の除隊もあり得るので、まったくお国のために命を捧げるということには縁遠いところに自分が至ったことを実感するのであります。
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# by kokuminbunka | 2004-07-26 21:40

『国家と祭祀』子安 宣邦著 青土社刊 ¥1,900(税込:\1,995)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02465140&aid=ex(別窓で開いてください)

「国家神道」というコトバは、日本人が付けた名前ではないので使わないようにしてください。

とおっしゃる方は、多くのばあい、

「天皇制」というコトバは、日本人が付けた名前ではないので使わないようにしてください。

とおっしゃるようです。

「国家神道」にせよ「天皇制」にせよいずれも外国において分析概念として提出されたコトバを翻訳したものであって、その意味で日本語ではないと言えばないですわね。しかしながら、国家神道なり天皇制なりと言ったものは存在するわけであって、その出自で用語を云々するのはどうかなぁと思わなくもなく。

ちなみに、天皇制ではなく天皇制度と呼んで欲しいんだそうです。つまり、あくまでも「制度」として取り扱うことで、天皇制 Monarchieを「政治体制」と見做すような解釈を回避することで、天皇の問題を政治化しないようにすることを狙っているのでしょうね。

しかし、そうしますと、もはや天皇の存在は、万古不易な国体でも、政体でもなく、さらにそれ以下のきわめて可変的な制度でしかなくなってしまうわけで、「いやぁ、それはそれで難有いけど、いいのかなぁそれって」、と他人事ながら心配してしまうことしきり。
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# by kokuminbunka | 2004-07-25 16:48

『旅するニーチェリゾートの哲学』岡村 民夫著 白水社刊 ¥2,400(税込:¥2,520)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02464447&aid=ex(別窓で開いてください)

「ニーチェリゾート!」

なんと甘美な響きなのでしょう。きっと、曙光がきらめき、永劫回帰する輪廻の解脱者がフラフラし、ディオニュソスが大酒をカッ喰らって、アポロンと大喧嘩しているステキなリゾートなんでしょうねぇ。

…っていうか、その「読み」はどうだよと思わないでもなく。

当方の業界では「解釈」のことを「読み」といいます。具体的には「あなたの発表は面白いんだが、読みがちょっとねぇ」という形で使います。ニーチェ先生は、もともとギリシア古典学の解釈ではかなりブイブイ言わせていたのですが、古典そのものの「読み」ではなく、そこから現代における新たな文化の創造を目指すというとても実践的な「読み」だったので、理解者が得られませんで、アカデミズムからつまはじきされてしまったわけです。

まぁ、「読み」ってなぁ各々の個性というか、思想そのものであって、それはあくまでも「もっとも適当である」という蓋然性の域を出るものではないのでありますから、「ニーチェリゾート」でも別段問題ないのではないかと愚考する次第。>全く愚考です
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# by kokuminbunka | 2004-07-24 09:32

『マルクスと哲学 方法としてのマルクス再読』田畑 稔著 新泉社刊 \4,500(税込:\4,725)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02455853&aid=ex(別窓で開いてください)

あー、マルクス主義というのはどのくらいのアクチュアリティを有しているのでしょうか、今日。などと倒置法で聞いてしまうほどに、わたくしたちはマルクスから縁遠くなってしまったような感じなわけですが、そもそもある思想家についてアクチュアリティを議論する事自体が、きわめて珍しいのではないでしょうか。

ちょっと考えればわかることでありますが、「アリストテレスのアクチュアリティ」とか「キルケゴールの――」なんて真顔で語って良いような内容ではありません。そもそも、思想なんてのは実用性のレベルで論じたりするものではないと言えます。じゃぁ、どんなものであれば実用性を云々出来るのかと言いますと、「ヴェーバーのアクチュアリティ」とか「フロイトの――」とかは、わりと有効なのではないでしょうか。

アリストテレスとヴェーバーの間にはなんの違いがあるのでしょうか。

それは哲学と科学の違いであり、イデアと検証可能性との違いでありましょう。マルクスがアクチュアリティを論議される限りにおいて、かれはまだまだ哲学者ではなく社会科学の徒なのかもしれません。

――観念から科学へ! 空想から科学へ!


そういやこういうのも出てました。これに関しての検証可能性については、各人お確かめ下さいますよう。

『マルクス未来社会論(古典研究)』不破 哲三著 新日本出版社刊
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02463831&aid=ex
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# by kokuminbunka | 2004-07-23 08:33

『国民国家形成期の地域社会 近代茨城地域史の諸相』佐々木 寛司編 岩田書院刊 \6,195

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02439228&aid=ex

あー、国民国家の形成ってのが微妙ですが、これを地域社会ということでまとめようってのが面白いかもしれません。

で、パラ読み拝読したのですが、なんか前近代のはなしは、水戸学しかなくて、しかもみんな『新論』がらみってのはどうでしょう、と思わなくもなく。ただ、水戸学というか『新論』における主張が、国民国家の形成時に言説として展開したことは否めない事実であり、やはりそこら辺に落ち着くよねぇと納得することしきり。

やはりそこで気になるのが、近世と近代との連続と不連続なわけですが、まだまだ水戸学というのは政治的なイデオロギーのレベルでしかとらえられていないのがじつに以残念なことなのであります。その意味では、この本で取り扱われている『新論』は、近世思想の文脈で『新論』がどう読めるか(読まれたか)を論じているわけで、「へぇそういうものなのですか」とぼんやり納得しては、じっと手を見るわけです。
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# by kokuminbunka | 2004-07-22 00:05

『制服の帝国』山下 英一郎著 新紀元社刊 \3,000(税込:\3,150)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02463294&aid=ex

あー、日本はなんてステキな国なのでしょうか。こういうものが普通に嗜好品として許容されるというこのメンタリティは褒め称えるべきでありましょう。そこに生ている感情はあたかも、SEGAが「大戦略」なんて絶対ヨーロッパに輸出できなさそうなものをよくも作るなぁと感心するようなものであります。

最近の「帝国」ブームに食傷気味なみなさまに贈る、本物の〈帝国〉を是非ご堪能下さい。

ちなみに、
ヒトラー=ドイツ研究のための専門店「クラウゼ」はこちら。
http://www.klausemilitary.com/

まぁ、それはさておいて、あのナチス・ドイツにおける制服の氾濫というか、記号の氾濫というものは一体いかなる意味があったのかということを考えてみるのもまた一興ではないかと思うわけであります。

やっぱり、みんな堪えられなかったんですかね。主権者という立場に、なんてあからさまに自由からの闘争を意識してみたりするわけです。そういや、こういう本もありました。

「非国民」のすすめ: 斎藤 貴男著
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# by kokuminbunka | 2004-07-21 13:47

『近代日本と仏蘭西』三浦 信孝編 大修館書店刊 \2,800

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02419526&aid=ex

 フランスということばが仏蘭西と書かれるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。幕末期には、払郎西や払郎西という形で書かれたわけであり、どちらかというと「蘭」という単語はなるべく使わない方が吉だったように思います。

 だいたいにして、仏国といえば、当然のことながらインドのことであって、まさか泰西の国だとは思いもしません。っていうか、西遊記といいながら、そんなところまでお経を取りに行ってたら、玄奘三蔵はとても三蔵だけでは足りなかったでありましょう。いや、逆に、7世紀頃のヨーロッパなんてなんにもないから、蔵が建つかも危ういところかもしれません。

 閑話休題。

 近世後期には、西洋の天文学もたくさん入りまして、『仏国暦象編』(1810)なんてものもありました。これは、ケプラーの法則に基づいて地球の楕円軌道の運行を明らかにしたものでありますが、残念なことに第三法則の理解が今ひとつ不十分なために、月食の計算に大きな狂いが生じてしまっているという曰く付きの本――ではなく、真宗の坊さんで円通という人が著したものです。

 仏教的世界観というか宇宙観というか、見たことのとある方はおられると思いますが、インド人の考えた世界というのは、須弥山世界というやつで、宇宙の中心には須弥山という高さも知らないような山があるんだというお話です。しかしながら、蘭学的宇宙像の紹介は、そういうものを破壊してしまったわけですが、円通さんはなかなか面白いことをいいまして、「いや、それはね、須弥山が大きくて見えないから、測り切れてないだけで、実際は太陽系なんかよりももっと大きい宇宙ってのが存在するのよ」と、なんか正しいような正しくないようなことを言うのですね。

 いうなれば、形而下の宇宙と形而上の宇宙は相互に矛盾しないという、大変に近代的な宗教観を有していたと申せますって、毎度のことながら話がずれまくっております。

参考 http://library.nao.ac.jp/kichou/open/004/
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# by kokuminbunka | 2004-07-21 08:46

『二〇世紀日本の天皇と君主制』伊藤 之雄編 吉川弘文館刊 \8,000

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02419521&aid=ex

わたくしども、日本國民たるものは、萬世一系の天皇を宗家と仰ぐ萬邦無比の國體を有せることを、無上の慶びと感じ、もつて皇家の彌榮を常に祈り勵まなければならないのであります。

ということが当然書いてあるわけもなく、いろいろな問題を含みながら、日本天皇は現在も現存中世界最長王権の名をほしいままにしているのであります。はやく、エチオピアに王政が復活しないかなぁと私かに心待ちしているのは、臣子としてあるまじきコトなのかもしれませんが、まぁ、おもしろいからいいじゃないですか。
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# by kokuminbunka | 2004-07-21 08:35

『となりのコリアン』在日コリアン研究会編 日本評論社刊 \1,700

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02419444&aid=ex

いうまでもなく、あの「となりのインド人」の続編であり、早晩「コリアンもびっくり」というタイトルがお目見えすることは、間違いなく、われわれの心を千々に乱すのであります。

まぁ、それはウソですけれども(あたりまへだ)、難しいですわね、半島問題ってのは。NHKが「アンヨンハシムニカハングル講座」を開講したくなるのも宜なるかなという感じであります。とはいいながら、北では、Lの発音をしっかりしたりするらしく、林先生がイム先生なのかリム先生なのか、時たま、韓国籍の方でもリムさんがいたりして、どうなのかなぁ、とかでこれまた心千々に擾されるわけであります。ヤレヤレ。
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# by kokuminbunka | 2004-07-21 08:33

古いコンテンツ

古いコンテンツは

【国民文化研究所】
http://www.geocities.jp/kokuminbunka_3776/

にあります。
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# by kokuminbunka | 2004-05-10 12:02 | 古いコンテンツ

「国民文化」とは何か――国民文化についての一般理解

本研究所は、国民文化をスノッブかつペダンティックに研究することを目的としており、また国民文化それ自体とは何であるかを不断に問うております。

わたくしたちは、「国民」なる観念、さらにはその「固有の文化」などと云うものが近代において初めて生れたことを、もう一度確認するところから始めました。端的に言えば、「国民」があって「国民国家」が出来たのではなく、「国民国家」が「国民」を作ったという事実を国民文化理解の第一の前提と見做そうではないか、と云うことです。

むろん、国民国家を作った人々の存在は否定できません。しかしそれは決して国民国家の全構成員を意味しませんでした。自分自身を国民として意識する人々が国民国家という一箇の共同幻想を通して、政治的になにものでもなかった人民を国民に転化させていったのだ、と言うことが出来るでしょう。

例えばフィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」を演説したり、ヘーゲルが「ドイツには国家がない」と言ったりしましたが、こういった自らを国民と意識する人々に導かれて国民国家とその構成員が、初めて形作られていったのです。

もちろん、国民成立以前にも「ドイツ人」はいました。しかしながら、それは決して「ドイツ国民」ではありませんでした。「ドイツ人」が「ドイツ国民」であるには、自分自身をその所属していると見做される国民国家の有機的な一部分として意識(対自化)されなければなりませんでした。

ドイツと同様のことは日本においても展開されました。

日本における「国民」意識は、「ドイツ国民」がフランス革命・ナポレオン戦争と云う名の「自由の侵略者」によって意識されたように、ウェスタン・インパクトと云う名の「自由主義の侵略者」によつて形成されました。

かつて福沢諭吉は、日本人を評して「政府ありてネーションなし」とか「国民なくして客分のみ」とか言いましたが、それから20年も経たずして明治の民は自らを「日本国民」として意識し甲斐々々しく「天皇のため」「御国のため」に命を投げ出すまでに至りました。しかしそれは、本来有しているべき「国民意識」を「想起」したのではありません。国民意識には想起説は適応できませんし、むしろ危険ですらあります

 このような「国民」概念を前提としたとき、いったいその「文化」――すなわち「国民文化」――とはいかなる存在なのでしょうか。

 それは、あくまで近代国民国家の文化であり、また同時に国民国家を形成する精神となった文化だと定義できるでしょう。古都の巨大な寺社でさえ、それが特権階級によって独占されていた限りでは、この国民文化に対してなんらの関わりを持つものではありません。これら「過去の遺産」は、そのヒエラルヒーの頂点から引きずり降ろされ、全国民的に享受されることによって国民文化に転化されます。

 しかしながら、このような国民文化の理解について近代的エートスを以て正論を述べた津田左右吉は、まさしくその近代日本における国民国家の理論のために糾弾され、ついにその著書は発禁処分を受けてしまいました。わたくしたちは、近代国民国家のイデオロギーが、正しい言論を抑圧した事実に倣うことなく、国民文化に対して透徹した眼を持つことを目指そうとするものであります

 かつて和辻哲郎は、古典は古典であるが故に価値を持つと申しましたが、わたくしたちの理解ではそのようなことは決してあり得ません。

和辻の誤謬は、かつて貴族の血肉であった古典を国民文化の中に取り込むことによって有価値に転化させたその運動を意識しなかったところにあります。

いかなる古典でさえも国民文化においていかに内在的でありえたか、と云う視点を通して初めてその古典は価値を見出すことが出来ます。たちえば、ある意味「死んだ言語」の研究でさえあった国学もそれが学術的探求に留まらず、いかがわしい神学的色彩を含みつつ、「草莽の国学」として機能したが故に「前期的国民主義」(丸山真男)として近代国民運動の一翼を担うに至ったのであります。

 わたくしたち国民文化研究所は、近代国民国家に対するイデオロギー批判と共に、それを成り立たしめた精神の探求を主な目的として設立され、現在まで運営されております。そして今後も倦まず弛まずこの方針を堅持して活動していくことを誓うものであります。

2000年03月30日  国民文化研究所非常勤講師 田中征爾

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# by kokuminbunka | 2001-01-01 00:00 | 設立趣意書

だらだら思想研究……国民文化をスノッブかつペダンティックに研究しております。
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