国民文化研究所



国産の圧縮形式「LZH」のUNLHA32.DLLの開発中止へ、LZH形式使用中止を呼びかけ - GIGAZINE

国産の圧縮形式「LZH」のUNLHA32.DLLの開発中止へ、LZH形式使用中止を呼びかけ - GIGAZINE
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100607_lzh_end/

LZHの開発が中止になるとのことで、なんかやるせない気持ちになりました。

情報化社会における偉大な発明品
http://www.geocities.jp/kokuminbunka_3776/joho.html#lha

なんてお間抜けなことを書いたのが、懐かしいです。

脆弱性情報の対象にならないのが一つの理由のようですが、なんかなぁ。
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# by kokuminbunka | 2010-06-07 15:40 | そのほか

再生可能メディアとしてのフロッピーディスク

ついにフロッピーディスクドライブの生産をメーカーが打ち切りへ - GIGAZINE
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090727_fdd/

だそうでございます。

たしかに、この数年、FDを使ったことはほとんど記憶にございません。基本的に、物理的なメディアでもってファイルをやりとりすると言うことはかなりレアケースになりつつあります。基本、ネットワーク経由ですよね。まさに、エーテル科学の勝利と申せましょう。

ちなみに当方の業界では、投稿論文は未だにオンラインではございませんで、基本的に紙で提出し、査読通過後、別途記憶媒体を郵送といった感じでございます。

で、ここで問題なのがどういうメディアを使うかと言うことなのですが、だいたいそういう場合はFDなんですな。50kバイトも無いようなファイルのためにわざわざCD焼くのも無駄だなぁと思うわけですよ。FDは再生可能なメディアですので、結構便利だと思うのです。

まぁ、斯く言う当方も、ここ数年自分でFDを購入したことがございません。大体、人から送られたものを再利用して投稿用に回したりしています。まさにFDは天下の回りものと申せましょう。

しかしながら、この数年というもの、FDサプライは減少傾向であり、多量のタンスFDが存在しているのではないかと思います。このうえドライブの生産停止まで行ってしまってはどうすれば良いというのでしょうか。

嗚嗟、こんなことなら日食の時、遮光フィルタとして利用していれば良かった。>なりません
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# by kokuminbunka | 2009-07-28 09:03 | そのほか

迷惑コメント

コメントをつけるとコレがあったんですな。

ご面倒ですが、承認制にしておきます。

しかしまぁ、こんなところまで書き込みにくるもんですな。
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# by kokuminbunka | 2009-07-23 13:09 | そのほか

皆既日食

皆既日食が迫っているということでして、世間一般大にぎわいのご様子で、一部の南の島の方では入島制限を実施したりしなかったりとか。

まぁ、今回の地域が少々北寄りでしたのでよかったのですが、もう少し南の方に偏って、国境的にいろいろ面倒な地域であったらこれまた大変だったのではないかと、天が落ちる訳でもないのに杞憂をいたして日を過ごしております。

さて、猫も杓子も「皆既日食」でございますが、これほど人口に膾炙されながらも、いまだにその「皆既」の意味を正確に説明してくれたメディアにお目にかかったことがございません。いや、皆既日食の構造と申しますか、月と太陽と地球の位置関係がどうだこうだというのは教えてくださるのですが、なぜこれが「皆既」日食というのかということについては、さっぱりでございます。

皆既と申しますのは、「みんなすでに」という意味では当然ございませんで、「既」は「つきる」と読みます。はるかさかのぼること2700年前の桓公三年(BC709)に以下のように載っております。

○秋七月壬辰朔日有食之既〈既尽也……皆既者正相当而相奄間疏也〉(『春秋左伝』)
(秋七月壬辰朔、日の之れを食する有り。既なり。〈既は尽くるなり。……皆な既くるとは、正さに〔日月が〕相ひ当りて、〔太陽と地球の〕間疏を相ひ奄ふなり。〉)

このように、「皆既」と使われており、このコトバが、西洋科学の伝来とともにtotal eclipseの訳語として用いられるようになったわけでございます。

それにつけても想われるのが、「皆既」などということばを、よくもよくも当時の学者が知っていたものだなぁということでございます。もちろん東アジアにおいて展開した経験科学の上に、西洋科学の受容があるわけであって、近代初頭の自然科学者が、和語・漢語に対する深い学識を有していたことは疑いもない事実であります。

思い起こせば、蘭学受容の過程で、これら先人は、それまでの学問には存在しなかった器官(=「腺」)に対して、新たなことばのみならず漢字までも作り出してしまった訳でございます。日食を前にして、その日本語に対する執着に畏敬の念を新たにするとともに、我々の日本語能力の低さをなんとも哀しく思ったりする次第でございます。
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# by kokuminbunka | 2009-07-21 15:32 | そのほか

今を生きるエーテル科学

このところ大学では「日本文化論演習」(仮)をやっております。

留学生が日本における心身論(霊魂―身体論)をテーマにお話したのですが、比較としてヨーロッパの心身論についても言及してくれました。その際、キリスト教における復活Resurrectionに関して、「死者の肉体が無ければならないというワケではなく、復活に物理的な肉体は必要ではないと考える人もいる」と、彼は宣いました。

彼が言うには、「復活するときの肉体は、霊魂Spiritによって「空的な肉体」が形作られるので、物理的なこの世の肉体は不要らしい」とのこと。

「嗚嗟、霊魂から作るのね。なるほど。いや、ちょっと待て。その「空的な肉体」ってなんだ?」

当然出てくる質問でございます。とはいえ、なんかどうも要領を得ない回答でしたので、英語で言ってみてと申しますと、

「イーター」

とおっしゃいます。「イーター」と言われても、「マンイーター」しか思い浮かばないなんとも頭の悪い教員で申し訳ございません。

「ごめん、スペル書いて、原文の」

と言ったところ、彼が書いてくれたのが、

ether

でございます。

「嗚嗟、etherですか。ん? そりゃ、エーテルじゃないですか? それを日本ではエーテルと言います。ドイツ語系の読み方です(ホントはオランダ経由らしいです)」

とたたみかけるように言う当方。あちらは

「嗚嗚、エーテルというのですか」

と、あっさり。

かくしてすべてが氷解いたしました。なるほどねぇ、エーテル的肉体でしたか。それなら物理的肉体が無くても良いですよね。

そこで思い出したのが、日頃お世話になっているethernetでございます。イーサネット、イーサネット言っておりますが、よくよく考えてみればエーテルネットなわけでございます。

調べてみますと、どうやら、本当にエーテルネットだったようでありまして、

ethermanage.com
http://www.ethermanage.com/ethernet/ethername.html

によれば、物理的なネットワークの間のメディアとして、エーテルということばを採用したそうです。エチルエーテルなんてインチキエーテルではなく、本当のエーテルが今も生きていることを想いを致しながら、今日もエーテルに駄文を載せているのであります。
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# by kokuminbunka | 2009-07-15 00:22 | 週刊『思想と国民文化』

再起晩成

なんとか復活を目指そうと思っていたのですが、公私共々大童でございまして、なんとも驚きの放置っぷりでございます。

もう昔のようにHTMLを書くだけの気力がないことを痛感したので、こちらのブログをメインにしていこうと思っております。跡地となったgeocitiesの方には、このブログが埋め込まれた形になっていますので、右下の「跡地」リンクをクリックし続けると、入れ子式にどんどんウィンドウがはめ込まれるので、ちょっと気持ちが悪いです。

そういや、テレビカメラでの画像が映し出されているテレビにカメラを向けると、映像が永遠に映し出されたことを思い出しました。ついでにやった直後、「カメラが壊れる」とエラく怒られたことも思い出しました。

ホントに壊れたのかな。

どうぞ、今後ともどうぞよろしくお願いします。
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# by kokuminbunka | 2009-07-14 23:30 | そのほか

山の上ホテル物語 / 常盤新平/著 - Yahoo!ブックス

山の上ホテル物語 / 常盤新平/著 - Yahoo!ブックス
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31838356

御茶ノ水駅から明大通りを神保町の方へ参りますと、明大の二つのキャンパスに挟まれた細い路地があります。その道の入口にひっそりと掲げられている「山の上ホテル」の看板。目にはしておりますが、仲々にその実態を知ることが出来ないその「山の上ホテル」を取り扱ったノンフィクションが本書。

ちなみに、明大が「リバティー・タワー」なんて洒落たものを建てたもんで、これが「山の上ホテル」だと勘違いしてホテル予約を取りに来る人もいるとか(明大の先生に伺いました)。

「山の上ホテル」に憧憬はあるものの、なんとも二の足を踏んでしまう方、神保町奈辺を徹底攻略されたい方には必携のアイテムと申せましょう。なお、神保町に参られる際は、「インド風カリーショップ エチオピア」もお忘れなく。見るだけでもいいですから。
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# by kokuminbunka | 2007-02-07 09:52 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

簡単ビラの作り方&マンガ・カットCDーROM

簡単ビラの作り方&マンガ・カットCDーROM 第4集――Mac & Win対応
出版社 発行所 : 日本共産党中央委員会出版局
税込価格 2,980円(本体2,838円+税)
発行年月 2006年11月
判型 B5
ISBN 4530044041

嗚嗟、こういうものを使って作られているのですね、あのビラとか伝単とか怪文書とか。こういうものを用意するあたりが、さすが日共というべきか。一瞬欲しくなりましたが、たぶん当方が望んでいるような「マンガ」はないだろうと思うので、パス。出来れば、北斎漫画をCD-Romで出してください。

ちなみに、

Hokusai Manga Construction Kit
http://www.adgame-wonderland.de/type/hokusai/index.php

というのはあります。
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# by kokuminbunka | 2006-11-11 08:19 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

和田登『踊りおどろか「憲法音頭」――その消えた謎の戦後 』

書 名 踊りおどろか「憲法音頭」
副書名 その消えた謎の戦後
出版社 発行所=本の泉社
著 者 和田登
税込価格 1,785円(本体1,700円+税)
発行年月 2006年7月
判型 A5
ISBN 4880239607

さぁ大変です。憲法で音頭です。

いや、先日購入していたのですが、ただただオマケのCDが聴きたくて買ったので、中身はあまり読んでませんでしたですよ。

にしても、音頭かぁ。日本人の音頭好きにはホトホト呆れます。夏になればアニメのエンディングは、音頭一色でございます。大滝詠一プロデュースの「イエロー・サブマリン音頭」何ぞもございます。

そうこうして、音頭を色々物色しておりますと、よほどにイッてしまった音頭が、

シュレディンガー音頭

でございます。

シュレディンガーといえば猫。犬派ならパブロフの方にでも行ってしまえ、と暴論が吐かれるほどに猫が有名であります。が、この音頭、猫はまるで出てきません。そんなな生やさしいものではないのでありまして、是非ご一読をお勧めする次第でございます。
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# by kokuminbunka | 2006-11-02 01:22 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

水林彪『天皇制史論』

天皇制史論/水林彪

出版社 発行所=岩波書店
税込価格 3,990円(本体3,800円+税)
発行年月 2006年10月
判型 B6
ISBN 4000240226

嗚嗟、今度出るという噂のご本はこれでしたか。天皇制史というと、

石井良助の『天皇』がよく知られていますが、当方先日までこの本が、戦後すぐに石井先生がだした同名の本と別のモノであることを知りませんでした。あやうく、エライ恥をかくところでしたよ。

まぁ、書いてあることは大して変わらないんですけどね。
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# by kokuminbunka | 2006-10-30 08:45 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

日本人の異界観/小松和彦

日本人の異界観――異界の想像力の根源を探る/小松和彦

読みたいなぁ、とおもうので、メモ。
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# by kokuminbunka | 2006-10-19 09:33 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

朝鮮通信使をよみなおす/仲尾宏

朝鮮通信使をよみなおす――「鎖国」史観を越えて/仲尾宏

「鎖国史観」というのは、もう大体越えられているとは思うのですが、しかしながら当時の日本人の意識の問題として、「鎖国だろうが海禁政策だろうが、外部との交流がない」というのは事実なわけで、たとえ外からの文物が入ろうとも、結局はエキゾチックな感覚にすぎなかったのではないかと思うわけです。

むろん、18世紀前期の日本銅が世界の銅流通のかなりの部分を占めていたのは確かなのですが、経済的関係がそのまま客観的認識をもたらすわけではないという良い例であります。

やっぱり今日的な意味での外交関係を前提に考えてしまってはまずいんじゃないのかなぁと思うわけですよ。だって、朝鮮通信使を朝貢使節と思っていた日本人だっていたわけですから。

歴史を想起するのは、それ自体を目的としているというよりは、想起することによってもたらされる効果を目的としているのかもしれません。
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# by kokuminbunka | 2006-10-19 09:32 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

皇位の正統性について/小堀桂一郎

皇位の正統性について/小堀桂一郎

「歴史を知らないから議論がおかしくなる」というのが基調なわけですが、「歴史を知っているからそういう議論をしている」という人間に対してはどう応えてくれるのでしょうか。
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# by kokuminbunka | 2006-10-19 09:21 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

西鶴と浮世草子研究


西鶴と浮世草子研究 (Vol.1)

とある研究会に出たら、「是非買ってくれ。本屋が××××部も刷るという暴挙に出たから、もしかすると危険水域かもしれない」というお話しでご紹介。まぁ、売れると踏んだから出すのでしょうけどね。

別に当方は西鶴なんかよく分からないのですが、「西鶴浮世草子全挿絵画像CD」が付いているそうなので、その点だけで欲しくなって注文しました。と、いうか画像CDって何だろうなぁ。ピクチャーCDのことかもしれません。む、フォーマットどうなってんだろう。すくなくとも、ピクチャーレーベルCDの略ではないはずです。っていうか、浮世草子の挿絵がピクチャーレーベルになっていたからといってどうしろと?

何はともあれ、「画像CD」が気になる方は、是非ご購入を。
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# by kokuminbunka | 2006-07-09 00:48 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

風水講義/三浦国雄

オンライン書店 本やタウン: 本: 風水講義/三浦国雄

いざというとき食いっぱぐれたらインチキ風水師で食いつないでやろうと画策しております当方と致しましては、どうにも見逃せないタイトルであります。かつまた、お値段もお安いところがステキです。

とりあえず、注文しておきました。待て続報。(あるのか?)
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# by kokuminbunka | 2006-01-20 00:25 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

戦艦入門

Yahoo!ブックス - 戦艦入門 新装版 / 佐藤 和正 著
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31638372

旧版:戦艦入門 (光人社NF文庫) 動く大要塞徹底研究 佐藤 和正著
税込価格 : ¥780 (本体 :¥743) 出版 : 光人社 サイズ : 文庫 / 337p
ISBN : 4-7698-2178-6 発行年月 : 1997.11
http://www.bk1.co.jp/product/1469787

光人社NF文庫というのは、男子たるもの一度は手に取ったことがあるのではないでしょうか。
しかしながら当方あのシリーズを買うたことがございません。

それはそれで、少ないお小遣いをどのように使うかという選択の結果であり、後悔はしていないのですが、この、タイトルは仲々に引かれるものがございます。なにしろ、『戦艦《入門》』でございますから。

「入門」と申しますからには、まずは束脩(そくしゅう)の儀を恙なく執り行い、最初は甲板磨きなどの雑用をこなしつつ、師匠に稽古を付けてもらい、最終的には免許皆伝を受け、ついに一流をなすに至るのでありましょう。問題は、このご時世に軍艦の皆伝を受け手もどこにも使いようがないという、まことにもって泰平の世の素浪人のような事態なのでありますが、残念なことにそれは泰平なるが故ではなく、紛争の局地化による、大艦巨砲主義の消滅という実にやっかいな情勢が起きているためなのであります。

ちなみに、この著者

ビーケーワン:空母入門
http://www.bk1.co.jp/product/2606028

なる本も書いているようです。こちらの方は、まだ仕官の口はありそうですが、現状まともな空母中心の機動部隊ってアメリカくらいしか持っていないのではないかと思うのですが、どうなんでしょう。原子力空母が日本に常駐するのも秒読みのようですが、これを読んでも、たぶんそういう問題には対応できないかもしれません。

中国新聞・政治:地元も理解してもらいたい 首相、原子力空母配備で
http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2005122601001776_Politics.html
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# by kokuminbunka | 2005-12-27 01:13 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

天長節を言祝ぐ

ステキな天長節をお過ごしでしょうか。クリスマスイブイブとか抜かしている方はおられませんでしょうか。会ったこともない神様よりも、現人神について思いを馳せた方が、いろいろな意味で面白いと思います。

そこで、この新刊です。

近代天皇制と国民国家――両性関係を軸として/早川紀代

天皇・国民国家・性という三題噺がどうなるのかと仲々に興味のそそられるところではあります。
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# by kokuminbunka | 2005-12-23 09:35 | 哲学思想系著作 きょうの新刊

開戦の詔書 大日本帝国憲法・教育勅語・大本営発表・ポツダム宣言・終戦の詔書

開戦の詔書 大日本帝国憲法・教育勅語・大本営発表・ポツダム宣言・終戦の詔書 / 自由国民社編集部/企画編集

嗚嗟、こういうものが売れる時代になったのですね。当方の気になるところは、大本営発表がどの程度網羅されているのかということであります。まさか、「西太平洋ニ於イテ米英ト戰爭状態ニ入レリ」だけしか入っていなかったらまことに遺憾であります。

こういったものをありがたがる方々の気持ちもそれ相応に分かるのでありますが、「帝国ト共ニ、終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」といったあの「遺憾ノ意」が、今日どこに行ってしまったのか、ということを想起していただきたいわけであります。それは、一つの「戦後責任」といえるかもしれません。

かつて、日本の国家元首が次のような「痛切な反省の意」を表明したことは、周知のところであります。

    わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

この発言があの村山という爺さんによって発せられたと言うことが、やはりことばの重みをもたせているわけであり、今日も本気でこの路線で色々やってくれれば、面倒も少ないのにと思わなくもないのですが、それはそれとして、ここで問題にしたいことは、ここには、あの「遺憾ノ意」は全く存在しないということであります。ただひたすらに、「日本一国がアジアを戦争に落とし込んだ」という「罪」を謝しているわけです。

しかしながらこの「日本一国がアジアを戦争に落とし込んだ」という罪の意識は、「日本 vs. 世界(=アジア)」という図式を当然のように想起させるわけであり、返す刀で日本一国が戦争被害者であるかのような認識(ABCD包囲陣!)をもたらしかねないのであります。このことは、「唯一の被曝国」という主張が何を意味するのかと言うことについて改めて考えさせるものでもあります。むろんそれは被曝自体のもつ普遍的な意味を否定するわけではないのですが。

歴史的文脈から切り離された責任論は、あまりにも空虚です。なぜ日本帝国があのような行為を致したのか、という真摯な検討を、結論からではなく、事実に基づいて考える必要があります。結果論では「勝っていたら正しい戦争だった」ということになりかねないのであり、それをすべて「誤った国策」「独善的なナショナリズム」ということに収斂させてしまってよいのでしょうか。日本帝国には、アジアを戦争に「落とし込んだ」責任もありますが、アジアを戦争に「導いた」責任もあるはずです。責任とは結果に対してだけではなく、行為そのものにもあるのではないかと、「東アジア共同体」なるものの構築が論議せられるたびに、斯く思うのであります。

東アジア共同体評議会[CEAC,ASEAN+3,政策プラットフォーム,調査研究,政策提言,シンクタンク,東アジア共同体,地域統合,産官]
http://www.ceac.jp/j/
空論「東アジア共同体」
http://www.ceac.jp/j/column/050404.html
岩波新書 東アジア共同体
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0411/sin_k202.html
評論:今まさに築かれる東アジア共同体、その価値観--人民網日文版--2005.11.15
http://www.people.ne.jp/2005/11/15/jp20051115_55151.html
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# by kokuminbunka | 2005-11-26 10:26

検討課題

ためしに一番はじめの『思想と国民文化』を載せてみたのですが、結構長くかつ読みにくいことが判明いたしました。あまり宜しくはないのかもしれませんが、字数制限ですとかをかけながら書いてみようかなぁと思ってみますよ。

もしかすると、読みやすいブログの書き方とかもあるのかもしれませんが、まぁ、そもそもこの叙述自体がブログ形式に相応しいかどうか、はなはだ疑問ではあります。
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# by kokuminbunka | 2005-11-23 00:03 | そのほか

中世封建制をめぐる悲喜こもごも―中世封建社会の評価―(1998.10.10)

 つい最近まで、この中世という時代の評価は極めて低うございました。つまり、中世は封建制で精神の桎梏(しっこく)な暗黒時代だとされていたわけです。こういう評価を定着させた人は、あのヘーゲル大先生です。

 ヘーゲル先生は、「すべての歴史は自由への歴史である」と主張して、東洋における一人の自由(専制君主)ゃ古代ギリシヤ・ローマにおける少数の自由(ポリス的自由)に対し、ゲルマン君主国におけるすべての人の自由を最高のものとして提出するわけであって、こうした世界史に対する観念からすれば現代(=近代・モダ~ン)以前のものはみんなダメなわけです。

 それでは、中世以前の古代ギリシヤ・ローマはもっと悪いのかとゆうと、あにはからんや、さにあらず、なのであります。このヘーゲル先生とゆう先生は、いわゆる形式論理学ではなく、弁証法に基づいた論理学を構築した人で、よく正反合とかいわれますが、「テーゼ・アンチテーゼ・総合」とゆう論理の展開です。ヘーゲル先生はこの論理の展開を歴史の展開にもあてはめて考えたわけで、はやいはなしが歴史的展開というのは、前の時代を否定する過程だと考えたわけです。

 現代(ヘーゲル先生の生きていた頃ですね)は、中世の否定である。その中世は、古代の否定である。否定の否定は、同じとはいわないまでも或る点において、にかよっているのであり、実際古代と現代とではヨリ多くの人々の精神的な自由を希求する精神においては同じであって、これは高く評価されるべきですよアナタ、とヘーゲル先生は思ったわけです。

 ヘーゲル先生にとって、歴史の終わりであるべき現代こそ最高の時代であらねばならないわけであって、同時にその否定の否定としての古代は高く評価され、またその否定としての中世は低く低く評価されなくてはならなくなるわけです。

 どうも、この中世蔑視の傾向はながく尾を引いて、ヘーゲルの批判的継承者である同志マルクスなんかも歴史観としては中世=封建制=桎梏=暗黒時代の立場ですね。「ブルジョアジィはそのとめどもない生産によって社会に残る様々な遺物を洗い流して、世界を一つにしてくれる点でのみ評価できる存在である」みたいなことを、なかよしのエンゲルス君に言ったりしてます。この同志マルクスの中世観こそが、その後の歴史学をかなり強くしばってきたのです。

 ヘーゲルを批判的に継承したといっても、やっぱりその論理様式は弁証法なわけですが、同志マルクスは、ヘーゲル流の観念論から脱退して唯物観念論をうちたてたトコロに違いがあるとしておきましょう。まぁ、それにしても歴史的展開の把握は否定の否定で一つ一つの段階を過程し進歩していくとゆう、いわゆる発展段階説だったという点では同じです。

 同志マルクスにはじまるマルキシズムに基づいた発展段階説によって、古代奴隷制→中世封建制→絶対主義→近代資本主義→社会主義→共産主義といったいわゆる歴史の必然性が永久普遍の原理として歴史学に通用してきたわけですが、よく考えてみればそんな歴史展開をしてきたのはヨーロッパくらいなもので、その他の大多数の地域ではまるで関係がないのです。(どういうわけか日本は非常に似ているのが不幸の始まりだったのですが…。)まぁなんにしろ、発展段階説というものは結局は一特殊地域の法則であって、(少なくとも近代以前の) 世界史は均一に流れてきたものではないことがいえます。

 そもそも同志マルクス自身も、「ブルジョア社会の本来的任務は、世界市場の樹立、取敢ずはその大枠だけでも造ることであり、またその基礎に拠った不動の生産を樹立することである。世界は丸い、それ故に世界市場の樹立とゆうのは、カリフォルニアとオーストラリアの植民地化(Kolonisation)、及び中国と日本の開国(Aufschluss)によって完了するようにみえる。」なんていっておりまして、近代以前に「世界」史なんてもんはなかったんだよと認めているのに、弁証法的世界史の把握というヘーゲルの影響がぬけていないわけです。

 現在は、中世=暗黒時代とゆう観念もようやく薄れつつあるようですが、「民主的幕府体制の確」立」とか、政治学の根本観念も失うような、意味のよくわからない発言がおおやけの場で繰り返されたり、「幕藩体制とは地方分権でありまして…」とか真顔でいわれたりする時代(かつて某野党第一党は国会でこんな事を言っていたのです――2005.11.22追記)でもあります。近代的中央集権体制が最近うまくいかなくなったから、近代以前の近世幕藩体制をもってこようとかいうのは、かなり低次元のエセ弁証法でもあります。これはこれで困ったもんではあります。こういうのを普通わ歴史に学ばないヤツといいます。
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# by kokuminbunka | 2005-11-22 09:20 | 週刊『思想と国民文化』

武士道と日本型能力主義

笠谷和比古(かさや・かずひこ)著 新潮社
本体1300円  20cm 250p (新潮選書 )
分類:210.5 件名:日本-歴史-江戸時代 05035723
4-10-603552-9 / 2005.07 対象:般
 付:島原陣図屏風「出陣図」(2枚)

http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=05035723


笠谷先生といえば、何は置いても『主君「押込」の構造』なわけでありますが、これが現在なかなかに手に入りにくい。図書館あたりでご覧いただければ幸いです。

まぁ、早い話が、近世日本の藩というのは、いわゆる中世的な領主専制体制ではなく、藩主は時には「押し込められる」ような存在であったのであり、その意味では、「おみこし」的リーダ像をそこに見いだすことが出来るということを、歴史的に明示しようとした労作であります。

しかしながら、ここで問題となりますのが、はたしてこのような近世武士社会における体制が、近代以降の日本においてもそのまま継受されたのか――さらには、このような体制が日本の特質であるのかということであり、この点は、今なおもって検討するに値することではないかと考えるわけです。

この点に関しては、またいつかお話しできればいいなぁと思わなくもなく。
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# by kokuminbunka | 2005-07-16 00:18

竹島及鬱陵島/奥原碧雲(著)

竹島及鬱陵島/奥原碧雲(著)

まことに不勉強をさらすようでございますが、この「ハーベスト出版」という書肆を当方は存じ上げておらなかったのであります。

で、内容は今から100年前に実施された島根県による竹島調査記録の再版なんだそうです。まぁ、竹島本は、まったく世の中に流布しまくっておるわけですが、なにが注目すべきであるかと申しますと、並製本126ページ・950円というお値段でありましょう。ハッキリ言ってこの値段のおかげで買う気になったのですが、どうも一般流通していないようで、直販で頼むしかないみたいなのがどうにも面倒です。

あの島が、独島であろうが竹島であろうが、どちらにせよ、もはや日本人はそんなもので、ナショナリズムを喚起されるほどウブじゃないと思うのですよ。まぁ、カニの存亡がかかってくるというのであれば、喚起される人もいるでしょうが。
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# by kokuminbunka | 2005-07-13 06:45

無能偕楽運動の方向転換

まぁ、いろいろ考えたすえ、もう少しまじめに生きていった方がいいのではないかと思ったわけで、また再びここに、「なんか気になるけど買うかどうか分からない本」を紹介していこうと思います。
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# by kokuminbunka | 2005-07-13 06:32

シャウプ勧告に帰れ

またぞろ、扇情的なタイトルでありますが、なんのこたぁない消費税総額表示に伴うおはなしであります。

端数の切り捨てor四捨五入によって、総額表示と実際に支払う金額との齟齬が発生しているということは、以前から存じておりましたが、先日、Shop 99で、商品を一つ購入しましたら、99円に消費税で103円だったんですね。ところが、2つですと、207円じゃぁないですか。

おいおい、ちょっとまてどういう計算になっているんだ?

そう思ったわけですよ、家計(世帯主1のみ)を預かる当方と致しましては、そこのところが妙に気になり、家に帰るなり、エクセルで、ほとんど使いもしないROUND函数なんか使って、計算してみましたよ。

その結果が以下です。

個数     単価      実払い     理想値     差額
1        99        103        103        0
2        198       207        206        1
3        297       311        309        2
4        396       415        412        3
5        495       519        515        4
6        594       623        618        5
7        693       727        721        6
8        792       831        824        7
9        891       935        927        8
10       990       1039       1030       9
11       1089      1143       1133       10
12       1188      1247       1236       11
13       1287      1351       1339       12
14       1386      1455       1442       13
15       1485      1559       1545       14
16       1584      1663       1648       15
17       1683      1767       1751       16
18       1782      1871       1854       17
19       1881      1975       1957       18
20       1980      2079       2060       19
:         :         :           :         :

この表から分かることは、1個買うときが一番安いということですね。個数が増えれば増えるほど、払わなければならない金額が増えるという、恐ろしい事態。

ちなみに、20個買うときに、10+10個で購入すると、それでも1円おトクです。

まぁ、一つ一つ勘定させる手間と強い心臓が必要なんですがね。

なんか所帯じみてきました。どこが思想なんだ、っていうか史的唯物論(=経済主義)万歳。>オイ
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# by kokuminbunka | 2005-04-30 19:18

亡命劇

こういうお話しがございました。

「趙英男氏の放送辞退は一種の言論弾圧」日本ネチズン
http://japanese.joins.com/html/2005/0427/20050427164257400.html

日本に「ネチズン」なんてものがいるんだろうか? と、当方は
思うわけであります。日本でネチズンがいるとすれば、まぁ、某
巨大掲示板とかなのでしょうけども、どうもあれを「市民」という
のには、ちと躊躇を覚えざるを得ないわけであります。つまり、
日本の「ネチズン」なんてのは、「輿論」を作れていない――と
もうしますか、「ネットごときで輿論は作れないよね」という、
ややさめた感じがそこにはあるのではないかと思うのですよ。

その意味で、2chで何をいっていようと、結局のところ、海岸を
キレイにするくらいな訳でありますよ。

2ちゃんねら~のゴミ拾い運動 Part3
http://www.tanteifile.com/tamashii/scoop/0207/08_01/

っていうか、こっちの方がたぶんに諧謔的でステキではないですか。
たぶんこういうのを(無駄に)成熟した国民国家というのかも
しれません。

さて、この趙英男さんは、なんか親日宣言とかしていたのですが、
靖国に参拝したとかしないとかで番組を降板されてしまったそう
です。

靖国に行っても参拝しないなんてよくやることですがねぇ。桜見て
酒を呑めばいいのです。はい。

この記事のラストは、以下のようになってます。

> 趙英男氏に同情して亡命を勧誘する声もあった。 「趙英男氏、
> 言論の自由さえない国を愛する必要はない。 早く自由な国に
> 亡命しなさい」。

ここはやはり「日本以外に」と付け加えて欲しかったです。
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# by kokuminbunka | 2005-04-27 22:59

金鵄あがって15銭

こういうお話しがございました。

65年前の“幻の万博”入場券で“現在”ご招待

65年前と申しますと、いうまでもなく、2600年であります。ここで、一曲「紀元二千六百年」でも唄っておきたいところですが、作詞の増田好生(森義八郎)さんは1965年にお亡くなりになったので、まだ著作権は切れておりませんから、止めておきましょう。話によると、替え歌もまずいらしいです。参ったなぁ。と、おもいましたが、これは歴史資料ですから良いと思いますので載せます。

    金鵄あがって15銭 栄えある光30銭
    今こそ来たれこの値上げ
    紀元は2600年 ああ一億の民は泣く

2600年が何であるのかについて、こんなペイジを見においでの方々にご説明する必要はないかとは存じますが、まぁ、1940年なわけですよ、西暦で云うところの。

この年は、驚くことに、オリムピックも企画されていたわけですよ、アータ。この泥沼化する日中戦争のさなかに!

「借金で首が回らなくなったから、五輪も万博もやらないでいいようにしちゃえ~、と戦争を激化させたのでは?」と、まるで「明日のテストがイヤだから、学校が燃えちゃえばいいのに」と祈った小学生のようなことを考えていたのではないかと、邪推してみたりするわけですが、本当に邪推です。
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# by kokuminbunka | 2005-04-14 00:02

岩波の復刊

今年もやって参りました、岩波文庫の復刊の時期が。

注目物件は、

制度通
憲法義解

でありますかね。

制度通は、なんともうしますか、持っていると蘊蓄がひろがります。あと見ていると、「ああ、その間尺ってそうやって定まったのね」とか思って楽しいですわけですよ。

憲法義解の方は、「けんぽうぎかい」と読まれたり「けんぽうぎげ」と読まれたり、一定致しません。とおもったら、岩波文庫の振り仮名が「ぎげ」になってました。

まぁ、ここら辺は、気になる人だけ気にしてください。というか、わたくしどもなどは、もうこれだけで二十分くらい大騒ぎになります。不毛だ。

とりあえず、次にいつ復刻になるのか分かりませんから、もし余裕のある方は、是非お買い求め下さい。制度通はあんまりキレイじゃないですが、憲法義解はよほどよい底本を使ったのか、けっこうキレイです。これなら、コピーで持っていても、国家学会版を持っていても、買う価値はあるかも知れません。っていうか、買ったのかよ、おまえ。>すみません

まぁ、宮澤俊義先生のステキ注釈を見たい人は是非どうぞ。大日本帝国憲法最後の日まで、あとわずかなこの時期の憲法解釈は、ある意味刺激的です。これを読むと、宮沢センセイが「八月革命の憲法史的意味」なんて書いちゃうのも何となく分かったり分からなかったり。>どっちなんだ。
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# by kokuminbunka | 2005-04-05 23:34

たこ焼き最後の日

たこ焼きがピンチです。

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - たこ焼きピンチ 仕入れ値高騰 モロッコ産タコ、乱獲で輸入激減

日本の食文化を成り立たしめるには、世界中のおかげを蒙っているわけであります。その事実を忘れて、やれ狂牛病がどうだ、やれ鳥インフルエンザがどうだと目先のことばかり述べ立てておってはいかんのであります。本質的に、そういう海外への依存構造自体を問題とする必要があります。

ウナギなんかも最近中国産が多うございますが、実際のところ生まれはフランスだったりするわけで、それもまた乱獲で大変なことになっているようです。

まぁ、食い物の恨みともうしますか、養殖技術の向上で「うな丼が牛丼並に値下り」ということもあるようですが、牛丼が鰻丼並に値上がってどうするよ、という話もありますがね。

さて、それにしても日本人の食うものは、まことにもって普遍性のないものなのだなぁと思ったりするわけですよ。タコは食う、マグロは食う、ウナギは食う、まぁトンデモねぇ下手物大好き食材王国です。そういう意味で、切って焼くだけのアメリカ食文化は、非常に普遍性のあるもので、なんかうらやましいですね。

……なんて言う人は、ハンバーガー食ってコーラ飲んでりゃいいんですよ、と暴言を吐いてみるテスト。
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# by kokuminbunka | 2005-04-03 12:35

中国語で考えるんだ、中国語で!

こういうお話しがありました。

米国の鳥よけ装置効かず、鳴き声を“中国語”に変更

なるほど、そういうこともあるんですねぇ。さすが共産圏は違いますね。これがスターリン言語学というヤツなんでしょうか。――って、ほんと全然違いますから。たぶん、生態系的に天敵の内容が違うのではないかと思うわけですよ。

今回のタイトルに、今ひとつまだピンと来られていない方は、この映画でも見てください。
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# by kokuminbunka | 2005-03-27 12:36

格物窮理と自然学

福沢諭吉の「科学のススメ」―日本で最初の科学入門書「訓蒙窮理図解」を読む

という本がでるそうです。で、紹介のトコロに、〈「窮理」=当時の言葉で、科学全般、特に物理学のこと〉とあるのですが、これはいかがなものかと思わなくもなく。

本来「窮理」は、儒学におけるところの「格物窮理」に由来するものであり、この四文字熟語がつづまって、「物理」になったというのは衆目の一致するところなのであります、って誰れだオマエは。

まぁ、それはさておき、宋の程伊川は、一事一物の理を窮めてゆけば、ある瞬間に「豁然貫通」するに至ると、まぁ禅宗テイストなことを言ったわけでありますが、とにもかくにも、「格物・致知・誠意・正心・終身・斉家・治国・平天下」といういわゆる「八条目」の第一の工夫(くふう)として、この「格物致知」を位置づけたわけであり、その意味では、およそ自然科学とは縁のないことばであったともうせます。

ところが、19世紀の中葉になりまして、ヨーロッパの――とくにプロテスタント系の科学知識が入って参りますと、その精緻さに驚くわけですよ、儒学者ですらも。そのなかで特に注目されたのが数学であり、その延長上にある物理学でありました。まだ、そんな名前は付いてませんが。

たしかに、朱子学における「理」の大系もそれ相応に精緻だったわけで、森羅万象、人間の特性、行き方来し方すべてが陰陽五行で説明がついたわけですから、たしかにそれはすごい。sごいけれど、やはりそれは形而上学でしかなかったと申せます。そのため、むしろ西洋のphysicsをこそが「窮理」であると考えるようになった人々が現れるようになり、かくて格物窮理の学はその出自を離れて新たな意味を持つようになったのであります。

で、こういう事態は、physicsそれ自体においても起きておりまして、そもそも、このphysicsはギリシア語のphysikeすなわち自然学に由来することばでありました。つまりこちらも、まことにもって思弁性の高いトコロからやってきたのだと申せます。

まぁ、お里が知れたからといってどうこう言うわけではないのでありますが、遡れば遡るほど学問というのは源を一にしていくのだなぁということを知り、専門分化でタコツボ化している現状を思い、カニと戯るわけであります。
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# by kokuminbunka | 2005-03-26 17:16

だらだら思想研究……国民文化をスノッブかつペダンティックに研究しております。
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