国民文化研究所



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『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』玄田 有史・曲沼 美恵著 ¥1,575 (¥1,500)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02460212&aid=ex(別窓で)


その昔、DINKSということばがはやりました。

Double Income No Kidsということなのですが、80年代あたりの「共稼ぎ・子供なし」の夫婦のことだそうです。当時は当時でいろいろ批判もされ、論議になったわけですが、なんですか、NEET( Not in education,employment,or training)ですか。これに比べればずいぶん前向きだったなぁと思わなくもなく。

そういう捉え方自体がこの本にとっては、迷惑千万なのでしょうが、今日も時間がなく、オチもなく終わります。

二三日で帰ってきます。
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by kokuminbunka | 2004-07-31 07:28

『イデア 美と芸術の理論のために』E.パノフスキー著/伊藤博明・富松保文訳 ¥1,575

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02450858&aid=ex

そのむかし、こういう阿呆なことを書いたなぁと、思い出しました。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3776/ideal.html#top
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by kokuminbunka | 2004-07-28 21:07

『日本洋学史』宮永 孝著 三修社刊 ¥4,800(税込:¥5,040)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02449055&aid=ex(別窓で開いてください)

洋学と申しますと、やはりバテレンの妖術と言うことになります。そうじゃないという方もおられますでしょうが、まぁ、それはそれとして。

たとえばですね、当時の排耶書(キリスト教排撃書)なんかを見ますと、「地球儀」ですとか「プリズム」ですとかを使って、「不思議大好きな日本人を幻惑している!」などと糾弾しているわけですね。まぁ、バテレンの妖術とは言っても、それほど人知を絶したものであるわけでもなく、見る人が見れば、「嗚嗟子供だましね」とか「カラクリじゃん」とアッサリと看破されること必至だったわけであります。そもそも、宣教師だって専門の学者ではないわけですから、「じゃぁ、これは一体どういうわけなんだ」とか詰問したら、「ごめん、わかんねぇ」とか「紙の御技です」とかいってごまかすしかないわけです。

そうこうしているうちに、日本ではキリスト教が禁止になり、直接「妖術」を教えてくれる人がいなくなってしまったのですが、中国大陸にはまだまだたくさんおりまして、この人たちが、世界地理書であるとか、暦学書なんかを漢文に翻訳してくれたので、日本人はこの漢訳洋書を経由して、西洋の文物を摂取することが出来たわけです。

ただし、ここで注意していただきたいことは、その内容がどれほど西洋に出自するものであったとしても、漢文で著されている限りにおいてそれは儒学・漢学という既存の学問体系の内側に存していたわけであり、その点で、まだまだ新しい学問体系の到来ということにはなりませんでした。

『解体新書』の訳出という「事件」は洋書を洋書として――すなわち原書で――読むようになったという意味で、全く新たな学問体系――最近のはやりことばで言えば「学知」――を成立させたものとして高く評価すべきものなのであり、これ以降、洋学は蘭学として独立した体系を確立させていくのでありました。……って、なんか『思想と国民文化』みたいだ。
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by kokuminbunka | 2004-07-27 22:39

『近代日本の徴兵制と社会』一ノ瀬 俊也著 吉川弘文館刊 ¥8,000(税込:¥8,400)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02443958&aid=ex(別窓で開いてください)

そのむかしは、一銭五厘の赤い紙がやってきて人々を連れ去っていったわけで、いまのお金に換算するとはがき一枚が50円なので、当時の1円は、50÷0.015=3333.33…円となるはずです。たぶん、計算が間違ってなければ。

まぁ、こういうのを机上の空論というのであり、円タクとか、円本とかをかんがえると、「三千円って高くないか? っていうか、それって一回の呑み代(「のみしろ」と読んで下さい)だろう」とかすごい思ってしまうのですが、まぁ、昔と今とではいろんな社会関係も違い、人件費その他も違い、易々と等価交換できないところが経済が生き物であると言われる所以なのだなぁ、などとよくわからないことを納得しながら、

「とりあえず、50円で自分の人生左右されなくて良かった」

と心の底から思う次第であります。

まぁ、当方の弩近眼をもってすれば、丙種合格請け合いであり、即日帰郷という名誉の除隊もあり得るので、まったくお国のために命を捧げるということには縁遠いところに自分が至ったことを実感するのであります。
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by kokuminbunka | 2004-07-26 21:40

『国家と祭祀』子安 宣邦著 青土社刊 ¥1,900(税込:\1,995)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02465140&aid=ex(別窓で開いてください)

「国家神道」というコトバは、日本人が付けた名前ではないので使わないようにしてください。

とおっしゃる方は、多くのばあい、

「天皇制」というコトバは、日本人が付けた名前ではないので使わないようにしてください。

とおっしゃるようです。

「国家神道」にせよ「天皇制」にせよいずれも外国において分析概念として提出されたコトバを翻訳したものであって、その意味で日本語ではないと言えばないですわね。しかしながら、国家神道なり天皇制なりと言ったものは存在するわけであって、その出自で用語を云々するのはどうかなぁと思わなくもなく。

ちなみに、天皇制ではなく天皇制度と呼んで欲しいんだそうです。つまり、あくまでも「制度」として取り扱うことで、天皇制 Monarchieを「政治体制」と見做すような解釈を回避することで、天皇の問題を政治化しないようにすることを狙っているのでしょうね。

しかし、そうしますと、もはや天皇の存在は、万古不易な国体でも、政体でもなく、さらにそれ以下のきわめて可変的な制度でしかなくなってしまうわけで、「いやぁ、それはそれで難有いけど、いいのかなぁそれって」、と他人事ながら心配してしまうことしきり。
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by kokuminbunka | 2004-07-25 16:48

『旅するニーチェリゾートの哲学』岡村 民夫著 白水社刊 ¥2,400(税込:¥2,520)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02464447&aid=ex(別窓で開いてください)

「ニーチェリゾート!」

なんと甘美な響きなのでしょう。きっと、曙光がきらめき、永劫回帰する輪廻の解脱者がフラフラし、ディオニュソスが大酒をカッ喰らって、アポロンと大喧嘩しているステキなリゾートなんでしょうねぇ。

…っていうか、その「読み」はどうだよと思わないでもなく。

当方の業界では「解釈」のことを「読み」といいます。具体的には「あなたの発表は面白いんだが、読みがちょっとねぇ」という形で使います。ニーチェ先生は、もともとギリシア古典学の解釈ではかなりブイブイ言わせていたのですが、古典そのものの「読み」ではなく、そこから現代における新たな文化の創造を目指すというとても実践的な「読み」だったので、理解者が得られませんで、アカデミズムからつまはじきされてしまったわけです。

まぁ、「読み」ってなぁ各々の個性というか、思想そのものであって、それはあくまでも「もっとも適当である」という蓋然性の域を出るものではないのでありますから、「ニーチェリゾート」でも別段問題ないのではないかと愚考する次第。>全く愚考です
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by kokuminbunka | 2004-07-24 09:32

『マルクスと哲学 方法としてのマルクス再読』田畑 稔著 新泉社刊 \4,500(税込:\4,725)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02455853&aid=ex(別窓で開いてください)

あー、マルクス主義というのはどのくらいのアクチュアリティを有しているのでしょうか、今日。などと倒置法で聞いてしまうほどに、わたくしたちはマルクスから縁遠くなってしまったような感じなわけですが、そもそもある思想家についてアクチュアリティを議論する事自体が、きわめて珍しいのではないでしょうか。

ちょっと考えればわかることでありますが、「アリストテレスのアクチュアリティ」とか「キルケゴールの――」なんて真顔で語って良いような内容ではありません。そもそも、思想なんてのは実用性のレベルで論じたりするものではないと言えます。じゃぁ、どんなものであれば実用性を云々出来るのかと言いますと、「ヴェーバーのアクチュアリティ」とか「フロイトの――」とかは、わりと有効なのではないでしょうか。

アリストテレスとヴェーバーの間にはなんの違いがあるのでしょうか。

それは哲学と科学の違いであり、イデアと検証可能性との違いでありましょう。マルクスがアクチュアリティを論議される限りにおいて、かれはまだまだ哲学者ではなく社会科学の徒なのかもしれません。

――観念から科学へ! 空想から科学へ!


そういやこういうのも出てました。これに関しての検証可能性については、各人お確かめ下さいますよう。

『マルクス未来社会論(古典研究)』不破 哲三著 新日本出版社刊
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02463831&aid=ex
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by kokuminbunka | 2004-07-23 08:33

『国民国家形成期の地域社会 近代茨城地域史の諸相』佐々木 寛司編 岩田書院刊 \6,195

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02439228&aid=ex

あー、国民国家の形成ってのが微妙ですが、これを地域社会ということでまとめようってのが面白いかもしれません。

で、パラ読み拝読したのですが、なんか前近代のはなしは、水戸学しかなくて、しかもみんな『新論』がらみってのはどうでしょう、と思わなくもなく。ただ、水戸学というか『新論』における主張が、国民国家の形成時に言説として展開したことは否めない事実であり、やはりそこら辺に落ち着くよねぇと納得することしきり。

やはりそこで気になるのが、近世と近代との連続と不連続なわけですが、まだまだ水戸学というのは政治的なイデオロギーのレベルでしかとらえられていないのがじつに以残念なことなのであります。その意味では、この本で取り扱われている『新論』は、近世思想の文脈で『新論』がどう読めるか(読まれたか)を論じているわけで、「へぇそういうものなのですか」とぼんやり納得しては、じっと手を見るわけです。
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by kokuminbunka | 2004-07-22 00:05

『制服の帝国』山下 英一郎著 新紀元社刊 \3,000(税込:\3,150)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02463294&aid=ex

あー、日本はなんてステキな国なのでしょうか。こういうものが普通に嗜好品として許容されるというこのメンタリティは褒め称えるべきでありましょう。そこに生ている感情はあたかも、SEGAが「大戦略」なんて絶対ヨーロッパに輸出できなさそうなものをよくも作るなぁと感心するようなものであります。

最近の「帝国」ブームに食傷気味なみなさまに贈る、本物の〈帝国〉を是非ご堪能下さい。

ちなみに、
ヒトラー=ドイツ研究のための専門店「クラウゼ」はこちら。
http://www.klausemilitary.com/

まぁ、それはさておいて、あのナチス・ドイツにおける制服の氾濫というか、記号の氾濫というものは一体いかなる意味があったのかということを考えてみるのもまた一興ではないかと思うわけであります。

やっぱり、みんな堪えられなかったんですかね。主権者という立場に、なんてあからさまに自由からの闘争を意識してみたりするわけです。そういや、こういう本もありました。

「非国民」のすすめ: 斎藤 貴男著
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by kokuminbunka | 2004-07-21 13:47

『近代日本と仏蘭西』三浦 信孝編 大修館書店刊 \2,800

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02419526&aid=ex

 フランスということばが仏蘭西と書かれるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。幕末期には、払郎西や払郎西という形で書かれたわけであり、どちらかというと「蘭」という単語はなるべく使わない方が吉だったように思います。

 だいたいにして、仏国といえば、当然のことながらインドのことであって、まさか泰西の国だとは思いもしません。っていうか、西遊記といいながら、そんなところまでお経を取りに行ってたら、玄奘三蔵はとても三蔵だけでは足りなかったでありましょう。いや、逆に、7世紀頃のヨーロッパなんてなんにもないから、蔵が建つかも危ういところかもしれません。

 閑話休題。

 近世後期には、西洋の天文学もたくさん入りまして、『仏国暦象編』(1810)なんてものもありました。これは、ケプラーの法則に基づいて地球の楕円軌道の運行を明らかにしたものでありますが、残念なことに第三法則の理解が今ひとつ不十分なために、月食の計算に大きな狂いが生じてしまっているという曰く付きの本――ではなく、真宗の坊さんで円通という人が著したものです。

 仏教的世界観というか宇宙観というか、見たことのとある方はおられると思いますが、インド人の考えた世界というのは、須弥山世界というやつで、宇宙の中心には須弥山という高さも知らないような山があるんだというお話です。しかしながら、蘭学的宇宙像の紹介は、そういうものを破壊してしまったわけですが、円通さんはなかなか面白いことをいいまして、「いや、それはね、須弥山が大きくて見えないから、測り切れてないだけで、実際は太陽系なんかよりももっと大きい宇宙ってのが存在するのよ」と、なんか正しいような正しくないようなことを言うのですね。

 いうなれば、形而下の宇宙と形而上の宇宙は相互に矛盾しないという、大変に近代的な宗教観を有していたと申せますって、毎度のことながら話がずれまくっております。

参考 http://library.nao.ac.jp/kichou/open/004/
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by kokuminbunka | 2004-07-21 08:46

だらだら思想研究……国民文化をスノッブかつペダンティックに研究しております。
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